サラ忍マン進化論


エンジニアと名がつく以上、自分自身で価値を生み出す仕事をしている。
同時に自分自身も進化しなければならない。
セールスエンジニア、プロジェクトエンジニア、サービスエンジニア、みんなそうだ。


一般問題

楽(らく)

分らないこと、不明なことを避けて思考する。
自分の解釈が正しいかどうかを検証せずに無理やり適応する。

その方が楽だから?

もちろん、後でトラブルになる。

人は嫌でも学ぶ必要がある。

安定期

状況がある状態で安定すると、次の変化に必要なエネルギーの蓄積には相応の時間を要する。
時間は様々な条件に依存するが、そこにいる人間が変わらない場合、その状態がずっと維持されることもある。

変わらないことは、いいことばかりではない。

状況を打開するために、自律的に解決策や改善、イノベーションが起こるだろうという考え方もあるが、安定期においては繁忙均衡に陥る可能性が高い。

ツール

一昔前は、シンプルな仕事を優秀な人間がやることで品質の高い仕事を成し遂げていた。
ITにより仕事の仕方は変わった。

手を使っていた設計はツールを使用することにより劇的に高速化された。
そして、ツールを操作するオペレーション能力が重視されるようになり、仕事ができるだけでは通用しなくなってきた。

エンジニアは現場から遠ざかり、作業レベルの品質は、特に複雑系や少量品において低下した。

一方、ITツールを活用できないサラリーマンは、今の時代、退場の道しかない。

経験値

経験値というものは経験して初めて獲得できるものなので、経験しなければ経験値は上がらない。
あるいは、経験することで経験値は上がる。

同じ業界で同じ経験を共有することが必要とされるようなケースにおいて、経験値の高い者と初めての者がいたとしたらそのギャップは埋めようがない。
初めての者が学んだ分、経験値の高い者は更に経験を重ねる。

であれば、同じように経験したのでは進化はない。
そんな当たり前のことが、実社会では当たり前ではないらしい。

教える側、教わる側、それぞれの責任がある。
その覚悟がなければ務まらない。

マニュアル

いくら優れたマニュアルを作っても万全ではない。
引用の問題がある。
必要なときに必要な情報がタイムリーに得られないと仕事にはならない。

各人それぞれの能力アップ。
底上げがキーポイントになる。

ただ、マニュアルは原点でもある。

コンサーバティブ

ある程度仕事のできる人が会社における自分の居場所を確保したとき、人は保守的になる。

自然な行動ではあるが、その傾向が強い人がいる。
彼らは、自分に直接利益となる者たちの方向を向いて仕事をする。

動乱を経て落ち着いたと思ったら、今度は危機感の後退。
安心、平和、マンネリ、目先の仕事重視、得意分野への集中と選択。

発想の衰退、既成概念への偏重。
仲間たちとそれ以外。

技術、経験、知識

プロジェクト管理、生産管理、品質管理、職場管理、等々。
いろんな管理があるわけだが、そこには一つの原理がある。
管理という言葉でくくられるベーシックな部分に共通性があっても、個別にみるとその分野の技術、経験、知識を持ち合わせていなければプロフェッショナルな管理はできない。

単純な話として、技術、経験、知識のないものがいくつものグループをコーディネートするのは危険。
各グループはそれぞれの利益、都合を最適化するように行動する。
お互いが持っている情報には非対称性があり、それを調整できなければグループ間のほころびとなる。

殿様商売

昔はあったようだ。
何の勘違いなのだろう、偉くなったか?

売れた。
今の時代の話ではない。

お客さんが偉いのはいつの時代も変わらないかもしれないが、注文主とサプライヤーが対等な立場というのが理想だと思う。

ノーリスク

誰しも、知っている範囲で仕事をしたがる。
その方が安心だから。

できれば標準の仕様やプロセスを選択する。
何かあったときに安全であり言い訳できるから。

そうなると、人の話を聞かなくなってくる。
既に方針が決まっているから。

限定思考

限定思考が集中と機能美を生み出すとしても、それは結局、限定された中での話だ。

一般問題として、興味が自分の立場に限られている。
しかも限定的に思考する。
更に知らない相手をも限定的に定義し、存在しない世界を限定的に構築する。

外の世界と干渉が起こっても、どうにかして、と考えて、自分がどうにかしようとは考えない。

時代

時代は当たり前だが変化する。
いま、世界はグローバリゼーションというダイナミズムのただ中にある。

変化は常に遅れを伴い、長い時間をかけてすべてを飲み込む。
人はもがき、抵抗し、彼らの大義において目先の安定を追求し、自らの高齢化を社会に吸収させようと模索する。

高度成長期の残骸に身を寄せ何もかも他人のせいにしようとする人々、いかに延命できるかが全てであるように振る舞う人々。

人と設備は高齢化する。
改善に興味があっても、知らないもの、新しいものに対しては否定が先行する。

つまるところ、時代の変化に対しては、それを見極め、認め、それに対応すること以外に新しい居所を見出すことはできない。
将来の人々が、今の我々と同じように仕事をしている、などという幻想を持つのは、将来に対しての罪だ。


エンジニアリング

前提条件

予定通り行くのは全てが計画通り進行する場合のみ。
計画通り行くかどうか、理想ではなく現実がその過程を束縛する。

初めてのことをするということは、この世界、この時代へ新しく働きかけるということ。
しっかりと大地を踏みしめておかないと、簡単に跳ね返されてしまう。

些細なことかもしれない、誰かが踏んだ道かもしれない。
しかし、今、ここでこれから何かをするということは、時代の創造への参加であり、みんなといっしょに時代を築き上げるということだ。

跳ね返されないよう、準備することが必要だ。
準備することによってのみ機会は活かされる。

通る道は人により違っても、どの道にもリスクが待ち構えている。
挑まなければ造ることはできない。

常に改善が叫ばれるように、今できるのは今できることに限られるのかもしれない。
しかし、今できることをやることが、次への改善につながるのも確かだ。

絶対はないという謙虚さを持ち、形ではなく正しさを追求すれば、一本の自分の道が見えてくる。

エンジニアリング

エンジニアリングとは、頭の中にある概念を具現化していく手法や作業のことだ。

完成したときの形は、一つしか存在しない。
物理的に一つしか存在しえない。

だから、曖昧さに妥協しない、ということがエンジニアリングの仕事となる。
不明なものも、全て適切に定義していかないといけない。

全く何もないところから、最初にコンセプトが生み出される。
次に入力と出力が定義されてより具体的な要求となる。
それをフローにして、絵にする。

絵の段階では、修正は容易だ。
それが物になってくると、後戻りは難しくなってくる。
最後に組み立てられ、試される。

最終形が一つであるということは、ベストの形にすることが望まれているということだ。
それは、つまるところエンジニアリングの良し悪しによる。

プロジェクトマネージメント

ずっと昔は声が大きくて経験がありリーダーシップのある人がプロマネになって活躍したのだろう。
貫禄があり、支持され、責任とともに大きな裁量権が与えられ、ブレずに、的確に状況を判断していきながらプロジェクトを目的へと導く、ようなイメージ。

今では、役割や仕事の内容がアカデミックに体系化され、業界ごと、あるいは会社ごとの手法として様々に規定されている。

プロジェクトというものが組織で遂行される以上、リスクをカバーできる実行部隊の能力を組織として集約できるかどうかということが重要になる。
プロマネの力量の前に、その周りの人がプロジェクト組織の一部として自分の役割を認識できるかどうか。

タスクフォースでない限り部門が違えば関わりは薄い。
実感を含めその意識を高めるのは簡単ではない。
理論があっても現実はもっと複雑だ。

チャレンジ

問題が発生したことを前向きにチャレンジと表現することがある。
確かに、トラブルは改善につながるし糧にもなる。
ただ、当人にとっては防げなかったことで周りに迷惑をかけてしまい残念なことに変わりない。

Prevent troubles from happening.
エンジニアリングやマネージメントの基本だ。

しかし、トラブルのないプロジェクトもない。
今回の反省を踏まえ、現実を正確に分析し、改善をはかり、次回につなげる。
確かに、現実を嘆いてばかりでは気が滅入る。

そして、事実としてトラブルは人を育てる。

ところで、一つのプロジェクトは一つの挑戦でもある。

繰り返し製造されるものであれば、そのリスクは小さい。
しかし最初に製造したときには、様々な失敗があったに違いない。

プロジェクトは、常にユニークなものになる。
技術的なこと以外にも、プロジェクト組織のセットアップや顧客との係わりにおいて、どこかに「新しいもの」が必ずある。
新しいものを作るということは、リスクと隣り合わせの関係にあり、そのリスクを制御するに見合うだけの労力を投入する必要がある。

つまり、それだけの労力が必要になる。
(労力を小さくするのもチャレンジに違いないが、必要以上に小さくすれば失敗と苦悩を招く。)

差分

使用する情報量や内容と、期待する情報量や内容の食い違い。
そこを補おうとすることができるかどうか。

交差点

交差点を渡ろうとする。
行為は同じでも、その交差点の大きさや特徴によって対応は変わってくる。

大きな交差点ではルールを順守しなければ相当危険だが、小さな交差点であれば左右を確認して渡ればいい。
信号さえないかもしれない。
但し、車には気をつける必要がある。

対象によって、対応は変わってくる。

仕事における表現

独りよがりになるなかれ。
産業機械を世に問う場合、その機械が単独で役に立たつわけではない。
機械はラインに組み込まれて初めて仕事をしてパフォーマンスを発揮できる。

一方で顧客の言うとおりに物を作るわけではない。
メーカーとしての技術背景を活かして付加価値を提供する。

製造者の得意とするところ、機械や生産設備、と顧客の得意とするところ、製品や運用、の両者が合わさることで、より高い価値を生む作品に仕上げることができる。


プラントエンジニアリング

プラントエンジニアリング

プラントエンジニアリングと一言でいっても、顧客が属する業界ごとにそれぞれの風習や慣習がある他、顧客の会社規模、利益レベル、安全要求度、扱う製品の付加価値、等々の大小によって業務遂行上の要求内容や度合が変わってくる。

それら慣習等は、仕様や品質、パフォーマンスのように契約書に記載するようなものではないものの、あらかじめ考慮しておくべきことであり、知らないと後から困ってしまうような事態も生じる。
新規の顧客や新しいプロセスなどの場合は特に注意が必要だ。

また、新規設備の導入となると会社の規模によって顧客側の経験値が大きく異なり、専任者や経験者の有無がプロジェクトのセットアップ(組織)や進行に影響を与えることになる。

実際のプロジェクトの遂行に当たっては、このような業界ごとの多様性や顧客の経験値を加味して必要な対応をしていくことになるが、過去にプロジェクトを経験したことがあると言ったような経験則で行き当たり的に仕事をするわけではない。
プロジェクトを遂行する上での共通のベースと言えるようなものがある。

その一つのベースが、いわゆるプラントエンジニアリング業界のEPCプロジェクト遂行手順に見られる。

日本では成熟を通り越した産業が多く見られるが、我々の顧客も概ねそのような業界に位置し、石油・化学業界ほど厳しくなくても、顧客やサブコンともども古くからの慣例に倣ってプロジェクトを管理していく場合が多い。

ここで、プラントエンジニアリング業界の手法というのはプラントを作りこんでいくという前提に根差すものであり、部品ごとに吟味しながら基本設計、詳細設計を実施し、顧客もその過程に関与するというようなやり方だ。

また、日本には協調しながら仕事を取り進めるという文化があり、成約前から特定のメーカーやサプライヤーと組んでカスタムメイドの基本計画や基本設計を入念に実施するという傾向がある。
(この時点でパートナーから外れると、本契約での成約は困難。)

構造不況

プラント業界の不況は二年遅れてやってくるといわれていた。
そして、それはやってきた。

様々な要因が重なってはいるが、やはり一番は国内マーケットの縮小と国際競争力の激化といえる。

粗利で10%を切るような採算性、過当な競争による利益なき繁忙にさらされていた。
対処療法的な対応とリスク管理能力の低下。
そして、プロジェクトの失敗。

優秀な人材とプロジェクトの高度なマネージメントノウハウを有しながら、その不況に正面から突っ込んでぶっ倒れた。
構造不況にはそれほどのインパクトがあった。

多角化は早くから進められたが、うまくいった例は少ない。

プロジェクトエンジニアリングは万能ではない。
特定の分野における特定のプラントに対して最大の効果が発揮される。

そもそも、自社で機械を持たないエンジニアリング会社は、機器を調達して再販売するという構造を持つ。
総合商社がビジネスの構造を貿易による手数料から投資へ転換したように、優れたプロジェクトエンジニアリングノウハウがあっても、機器のハンドリングだけから適正な利益が得られるわけではない。
今では、国内主体のエンジニアリソースという組織構成から転換し、現地やその地域に根差したエンジニアリングリソースを活用する体制へと変化している。

マーケットの特徴とその専門度。
特定のマーケットでは特定のプロセスが強さを発揮する。
特にニッチな産業や新規分野ならば速さが重要な要素となり、いかにインターフェースをシンプルにできるかということがカギとなる。

ニッチマーケット

自動車や家電などのFA系は別にして、業界としては、石油・石油化学系、電力系、製鉄系、環境系、医薬系、穀物処理系、食品加工系、飲料系、等々、様々に分類できる。
それぞれで扱う原料や製品の数量、特徴、プロセスの規模、複雑性や仕様、取り扱いの難易性や安全性、法規制等の違いにより、エンジニアリングに要求されるものは変わってくる。

しかも、各業界の中においても加工や処理プロセスは様々なので、そこに多くのニッチマーケットが存在し、それぞれの専門業者が必ずいる。

プロジェクトエンジニア

一般的にプラントエンジニアリング会社のエンジニアの質は高い。
複雑で高度な仕事をタイトなスケジュールと予算で効率的に遂行しなければならない。
多くの関係者を組織化して業務に当たる。
それだけの個人的な経験と組織力が必要となる。
顧客プロジェクトチームとの折衝や業者との関係を速やかに取りまとめ、多種多様にわたる要素技術を統合する。

実務においても優れなくてはならない。
契約金額が大きくなるため、設計を最適化しミスを最小限にするための専門知識や経験が必要となる。
若くして大きな責任と裁量を与えられ、厳しい環境でパフォーマンスを発揮しなければならない。

プロジェクトエンジニアである彼らは、最初に自分自身をマネージメント出来なければならない。

そして、プロジェクトエンジニアは、三つの異なる分野の仕事をこなさなければならない。
プロジェクトマネージメント、エンジニアリングマネージメント、そしてコンストラクションマネージメント。
それぞれの分野において必要とされる知識や経験は異なり、それらを高いレベルで実現することを要求される。

また、プロジェクトエンジニアは、三つの異なる種類の仕事をこなさなければならない。
セールスや見積もりのサポート、プロジェクトの遂行、プロジェクトのフォローアップ。
それぞれが異なる要素を持ち、それら全体をカバーする力量が試される。

但し、彼らだけで業務が成り立つわけではない。
一つの事業はその他に数多くのエンジニアにより支えられている。
その一つ一つが重要になる。

エンジニアは理想を語る。
そして努力する。
しかし、エンジニアはそのタスクにおいて夢を語ることはない。

構造不況は彼らの環境を有無を言わさぬ力で圧迫した。
現実を支える底力、されど、環境変化の荒波はエンジニアを根底から翻弄する。

そこは、人が努力して成果を上げるという修業の場でもあった。
失敗を通して技術者としての経験を高め、修羅から生きる強さを学ぶ場であった。

プラント会社と建設会社

プラントの新設の場合は、エンジニアリング会社が元請けとなりその下に建設会社が配置される組織となる場合もあるが、中小規模のプロジェクトであればエンジ会社と建設会社が別々に元請けになることもよくある。

プラント会社(プラント建設会社もしくはプラントエンジニアリング会社、あるいは単にエンジニアリング会社)と建設会社の違いはなにか。

文字通りプラント会社は製造設備を建設する会社であり、得意な専門分野において総合的な知識、技術、ノウハウを有し、様々なメーカーや業者と連携しながら要素技術を有機的に統合し、求められる工場を、卓越したプロジェクトマネージメント手法を駆使してエンジニアリングしていく会社だ。

一方、建設会社は設計図に基づき建築物を建設する会社であり、中身のプラントについてはほとんど知識を持ち合わせないのが一般的だ。

なお、総合建設会社であるゼネコンにはプラント建設の部署もあり、建築に係わる最新の技術や総合力を活かしたプラントエンジニアリングを志向する。
しかし、そのようなケースを含めて注意しないといけないのは、彼らが、建設されるプラントプロセスの専門知識や技術を有していない場合、特定のプラント会社やメーカーと組むことになるのだが、その際、建築ありき、枠から入ろうとする傾向がある。

プラントの場合はプラントに合わせて建築を用意しないと、顧客の利益を最適化できるとはいえない。

ビルディングの仕事の進め方

ビルディングは設計と施工を別々の会社が担当できるような体制になっている。
多種多様なプロセスに合わせて設計されるプラントと比べると、規格化や標準化が非常に進んでいる。

一般に設計会社が設計し、その設計に基づき施工会社が施工する。
スケジュール的にクリティカルになるのは、設計と施工の間に建築確認申請の手続きが入る点だ。

工場のビルディングの設計は、プラントのレイアウトや要求諸元に基づき実施される。
そして、プラントの基本設計やある程度の機器の配置などは、建築確認申請の前に終えなければならない。

但し、プラントの設計はビルディングの設計のようにはいかない。
ビルディングの部材や設備のように標準化されたものではないし、プロセス上の制約、機器のサイズや形状、上下左右の取り合い、壁や床の貫通、運転、メインテナンス、省エネ、換気、等々、様々な要素を吟味して総合的に検討する必要がある。
フローやレイアウトが後から見直される場合もあるし、それらが固まってからも、相当なエンジニアリング労力と時間が必要になってくる。

施工にあたっても注意が必要だ。
建築確認許可が下りると、ビルディングの建設は設計図に基づき一気に進められる。
しかし、プラント側としてはビルディングとの取り合い個所があるので、その調整をタイムリーに実施していかないといけない。

このあたりの進め方の違い(ズレ)から生じる歪をどのように吸収するか。
同じ種類の工事であっても、プラントと建築は別物。

設計/建設会社のペースで進められると、余計な手間や調整などが増えてくる。
多くの場合、顧客の協力と関わりが欠かせない。

顧客

プロジェクトの成否(受注会社として)に関わる最も大きな要素は、顧客の反応にある。

大手の顧客でない限り、顧客に生産設備を新たに導入したり新規に建設するような経験が頻繁にあるわけではない。
プロジェクトの担当者を専任で置くような余裕もない。

プロジェクトマネージメントという概念さえ持っていないかもしれないし、少ない経験から固定観念が先行している場合があるかもしれない。
このような、顧客とそのプロジェクトを請け負ったエンジ会社(受注会社)との間に存在する情報の非対称性を、プロジェクトの最初の段階で出来る限り解消しておく必要がある。

多くの顧客の考えは、何とかやるしかない、あるいは、何とかなるだろう、といったようなものだ。
契約したので後は業者がうまくやってくれる、あるいは、別々に発注した業者同士でうまくやってもらえばいい、と思っているかもしれない。

但し、元請けが一本でない限り、業者間の調整は本来、顧客に委ねられる。
インセンティブがない限り、利害の一致しない者同士が身を削って協力しあう道理はない。

短い工期や細かな対応を要求される。
一方、他業者や他設備との取り合いが多ければスムーズにいかない。
当然、リスクや負荷が通常よりも増加する。
それでいて追加が認められないとなれば、適正な利益を確保することはできない。
方針や体制について途中で見直す必要も出てくる。

そういった意味で、過去にその顧客と一緒に仕事をした経験があれば非常に参考となる。

顧客のプロジェクトの経験や体制、プロセスやプラント運用の知識、閉鎖性や独自性、そこからくる思い込み、担当者の性格、協力的(一緒に作り上げていこうという意思)かどうか、常識的かどうか、要求水準、カスタマイズの程度、アドバイザーの良し悪し、図面類やデーターの要求度、プロジェクト管理、他業者との調整能力、等々。

顧客はプロジェクトの遂行段階で徐々に学んでくる。
そうすると、後から後から、彼らの視点でどんどん主張してくるかもしれない。
少なくとも、エンジ会社の既定の手法を一方的に適用するだけでは、後で反感を抱かれる恐れがある。

想定の上に契約は成り立つ。
想定外はリスクとして対処することになる。
それでいて顧客を満足させなければ成功とはいえない。

コスト管理

大型プロジェクトの場合は、顧客側も精鋭や経験者によるプロジェクトチームを組んで対応するため、物事は随時確認されながら合意の上に進められる。
ただ、ほとんどの、中小のプロジェクトを発注する中小の顧客にそこまでの余裕はない。

この場合、設計段階ですべてに承諾を求めながら進めることなどできない。
中小規模の顧客からすると個別に詳細設計の承認を求められても困る(承認するだけの知識がないので承認できない)という事情があり、供給側からすると設計の進捗やコスト管理に影響を来たす(色々と細かな点の説明を求められたりカスタマイズを要求されても困る)ので、全面的に任せて欲しいという事情がある。

従って、事前に承認や確認のために提出される書類は、契約により定められた要求品質を確保するための資料、基本設計に関わる図書、後で変更になると影響の大きい箇所、行き違いを是正するための資料等に限定されてくる。

逆に言うと、細かな個所について後から改造を求められると、それがもっともなことであれば、程度により対応するのはやむを得ない。
但し、追加コストが発生するのであれば、供給側にすべての負担を求めるのはフェアではない。
だから、これらはリスクファクターとしてあらかじめ契約金額に盛り込まれたりする。

ほとんど全ての顧客は追加請求を嫌う。
明らかな追加であっても追加請求なしで引き受ける業者がいるが、顧客とのそのような関係が継続できるのは、十分なリスクファクター分を顧客が事前に支払っているケースといえる。

後から請求が来なければ、顧客としても、業者との関係だけでなく社内的にもやり易い。
顧客自体はプロジェクトのハンドリングに精通しているわけではない。
プロジェクトは単発のものなので、予算の都合もあり、後からの支払いは社内的に通しにくいという事情がある。

現実的な話として、顧客の満足、という大前提に立つ以上、どこまでサービスするかという線の引きどころは難しい。
契約前に営業方針をしっかりと確認しておき、良かれ悪しかれ、契約以降は営業担当とプロマネの裁量に委ねられることになる。

エンジニアリングの認知

プロジェクトエンジニアリングを活用する利点は、ノウハウ、知識、技術力、購買力、総合力、統合力、調整力、最新技術、専門性、リソース、遂行能力、等々あるわけだが、生産することが本業の中小の顧客の場合、そこにどれほどの価値があるのかをなかなか分かってもらえないという事情がある。
それらを、便利、リスク回避、人がいないので仕方なく頼む、といった言葉で括ってしまわれては、残念ながらエンジニアリングの本質が理解されているとは言えない。

機械や制御システムにコストが発生することは分かりやすい。
しかし、エンジニアリングは一過性のものでそれ自体が形に残るわけではない。
いうなればエンジニアリングはプロセスだ。
結果しか見ることのできない人たちからないがしろにされる理由がそこにある。

顧客としては最終形が大事なのであって、その過程にはあまり興味がない。
顧客の製品や運用に対するノウハウはエンジニアリング会社を上回る場合が普通なので、提示された設計書類などに対しても粗の方が目立ってしまうようだ。

しかし、いいものに仕上げるには、それなりのエンジニアリングが必要となる。

また、プラントエンジニアリングは顧客との協業だ。
その実行力が正しく評価され、顧客の協力とうまくマッチすれば、WinWinの関係を築くことができる。

品質リスク

日本のエンジニアリング会社は、限られた予算内で最善を尽くそうとする。
品質についても、後からのやり直しを排除するような入念な設計を行うのが前提であり、後からの計算外のトラブルをカバーする余裕など織り込んでいないので、サプライヤーには出荷段階で確実な品質を約束させ、それを徹底させるような管理を行う。
だから、設計や品質管理に重点を置き、潜在リスクを回避しながら着実に仕上げていくという手法を取る。

メーカーから展開してきたエンジニアリング会社であれば、自社製品の品質にある程度の信頼を置くことができるし、問題があった場合の対応も想定して見込むことができる。
だから、経験的に、設計段階での品質確保は必要最小限に留め、現場での仕上げ工程において最終品質を実現するといったような、総合的な見地からの品質管理を念頭に置いている。
後から「想定内」で発生する費用については、あらかじめ予算に盛り込んである。

これは、現場での修正リスクがコントロールできる場合に有効な手法となる。

保守

製造部門を持たないエンジニアリング会社は機器を様々なサプライヤーから任意に調達することができる。
その一方、納入した機器に対しての保守は、必ずしも自社で手掛けるわけではない。

保守要員の役割が制限される中小の顧客であれば、エンジニアリングを請負った会社へ保守を委託する場合もある。
その場合、直接メーカーへ頼むよりも高くなるが、保守要員を保持するに相当するコスト以内であれば、その体制もある意味成り立つ。
これは、顧客との関係を継続するという点において、エンジ会社としても利点がある。

協業関係の矛盾

ところで、エンジニアリングを生業とする会社であっても、闇雲にどこからでも調達するわけではない。
サプライヤーとの関係を構築し、ネットワークの中で最適化をはかっていく。

その際、いくつかの選択肢から業者を選定するという立場にいながら、個々の会社と協力関係を築かねばならないという矛盾が生じる。
その矛盾を吸収することができなければ、歪としてどこかで表出する。
省力化や対応力を考えると、勝手知ったる業者や担当者と仕事を進められればそれに越したことはない。

現実として、資本関係を伴わない関係をうまく維持するには、公平な評価と信頼関係で補うしかない。
だから、いつも相手をリスペクトしなければいい関係は築けない。


メーカー展開のエンジニアリング

成り立ち

エンジニアリングを生業とする会社は、その経歴により三つに分類できる。

◇ エンドユーザーのエンジニアリング部門が発展し、他社へエンジニアリングサービスの提供を始めたもの。
◇ メーカーが単品機械からプロセス機器を取り扱うようになり、総合的なエンジニアリング業務へ展開して行ったもの。
◇ 元々はユーザーもしくはメーカーに由来するが、早くから独立してエンジニアリング専業として発展してきたもの。

それぞれで仕事の重心が異なってくる。

製造設備が有すべきキーテクノロジーは、プロセス、機械、制御システムなどであり、それらを統合することが、プラントとして目指すところになる。
そのようなキーテクノロジーに根差したエンジニアリングが、メーカーから展開してきたエンジニアリングを提供する会社にとっての持ち味といえる。

利益についていえば、機械は概してエンジニアリング業務そのものよりも利益率を高く設定できる。
(R&Dへの投資のために高く設定しないといけない)
また、売れれば売れるだけ、アフターサービスのビジネス機会が拡大する。

決定的違い

専業プラントエンジニアリング会社とメーカーから展開してきた会社との間には決定的ともいえる違いがある。

成り立ちからの違いは、メーカーであること。
組織的な違いはプロセスオリエンテッドであること。
そして、最大の違いは対象となるプラントの規模が小さいこと。

従って、プロジェクトのマネージメントもエンジニアリングのマネージメントもその手法は当然の帰結としてプラント業界とは異なってくる。
異なるビスネスモデルを持つのは必然といえる。

例えば、会社全体として、プロジェクト体制やプロジェクトマネージメントへの理解が総じて低い。
チームサイズが小さく、リードエンジニアがプロマネを兼ねる。
プロジェクト専門部があるわけではない。

ファンクション的な専門性が弱い。
また、組織よりも個人ベースの責任体制となっている。

購買力に差がある。
ターンキーは得意ではない。

一方、自社で製造する機械についての専門性が高く、機械が使用されるプロセスラインについて深い知見を有する。
そして、プロセスパフォーマンスをラインとしていかに最大化できるかを知っている。
それが付加価値となり、顧客の利益となり、会社の存在意義となる。

また、そこにこそコンペティターや一般のエンジニアリング会社と差別化できる理由がある。
別の視点から見れば、付加価値が高められる部分に集中し、その他の細々としたところは協力会社へお願いするというようなセットアップが導かれる。

いずれにしても、自社でまかなえる範囲のプラント、機械設備ということであれば、巨大な規模にはならない。
特定の分野に特化した能力、特にその競争力の源となるプロセスや機械の強さ、その強さを活かす体制が重要となってくる。

合理的な原理や原則、立ち位置や押さえどころなどは必須だが、高度なプロジェクト管理手法を小さなプロジェクトに適用しても効率が悪い。

ところで、初期計画、スコープの確定、リスク分析、基本設計などの重要性というのは、どのような仕事においても変わらない。

外資メーカー

メーカーとしての特徴からみると、外資メーカーは日本の産業機械の会社によくあるカスタムメイド主体のスタイルではない。
顧客と共同しながら、あるいは顧客の要望に基づきながら機械を作り上げるというようなケースは特殊な場合にしかない。

もちろん、オプションのような設定によりカスタマイズの余地はある。
ただし、それは乗用車の販売戦略と同じような考え方によるものだ。

開発された機械を売る、機械のパフォーマンスを最大化するように顧客へ働きかける、という立場をとる。
だから世界で戦える。

一方、顧客の標準仕様への合致を求められると、外資の、日本のマーケットへの参入は難しくなる。
例えば、トヨタはTS(トヨタ標準)に準拠することをメーカーへ要求するが、外資がこの壁を超えるのは難しい。

ただ、トヨタでさえ、新興国における戦略では現地開発、業界標準の立場をとるという。
これが時代の潮流なのだろう。
世界で、特に新興国で戦うためには、世界標準で勝つということが要求されている。

社内的アンバランス

社業の核となるビジネスユニットでは、効率化、標準化が限りなく進められてきた。

長い歴史において蓄積してきたノウハウをベースとしながら、プロセス、機械、エンジニアリングのそれぞれにおいて世界の先端を走っている。
追随してくるコンペティターとの競争を勝ち抜くために、効率性や生産性を追求してコスト競争力を獲得する必要があった。

そして、独自のエンジニアリング手法を洗練させ、そのやり方が社内標準の基礎となり、他のビジネスユニットへ展開されていく。

一方、ビジネスによって、特にイノベーションが差別化の決定的な要素となるようなビジネスでは、顧客の製造手法や運用のノウハウを含め、多様性に対してプロジェクトを最適化することが必要であり、それが要求される。
従って、カスタマイズが必然となってくる。

比較的新しいビジネス分野におけるプロジェクト遂行の難しさは、社内のこのアンバランスが多分に影響している。

この点において、エンジニアは概して標準には詳しいが、それを外れると弱い。

Engineering、Manufacturing & Installation

大手のエンジニアリング会社であればビルディングを含めてトータルオファーを行うこともできるが、顧客がビルディング会社と直接契約する方が総コストは安くなる。
要はプラントの建設において、プラントが主となりビルディングが従となる関係を顧客が築けるかどうかがポイントになる。
但し、高度にプラント設備とビルディングが融合するような場合は、そのプラントを得意とするエンジニアリング会社へ一括発注した方が顧客の負担は確実に少なくなる。

日本では一般的でないが、コンソーシアムという手法を利用してローカルの事情に詳しい業者と組んで顧客へオファーするという方法もある。

ここで、エンジニアリングをオファーする場合、メーカーから展開してきた会社は、ビルディングのような全く異なる分野の業務を敢えて自社の範囲に含めようとはしない。
これは遂行能力やリスク管理の点において現実的な判断になるわけだが、ビルディングを含めてオファーすることに特別な付加価値が見いだせないという点も理由としてある。
この点において、プラント会社のEPCに対して、EMIというように対比が出来るかも知れない。

設計と施工の関係

設計と施工が関係するのは当たり前だが、その比重やバランスについて語られることはほとんどない。

ベキ論が先に立つ傾向があるが、所変われば考え方も異なる。
Ref. 外資系のサラ忍マン/異なるビジネスモデル

施工において、SVの役割と技能に重点を置くという考え方もある。
プラントのエンジニアリングは、機械のエンジニアリングと同じように製造プロセスの一部であり、最終的な仕上げは現地で行うという考え方。

但し、設計に重点を置く場合に比べて現地での作業量は増える。
工期が延びる可能性がある。

また、一般的なEPC手法との矛盾が生じやすく、何より顧客やサブコンの協力を得なければスムーズにはいかない。

機械の仕事の流れ

個別機器のエンジニアリングにおける一般的な仕事の流れは、(1)条件や基本要求事項のインプット、(2)機器製作に当たっての要求仕様のリリース、(3)詳細設計、(4)設計図に対する顧客の承認、(5)製作へのリリース、(6)製作、(7)検査、(8)納品、というようになる。

しかし、レディーメイドの機械の取扱いが主となるメーカーの場合、機械の基本性能や仕様は標準図にうたってあるので、型式や寸法などを詰めればそれが製作仕様となる。
だから改まって機器製作承認は行わない。

顧客とは直接話をして基本要求内容を確認する。
そこにエンジニアリング会社が介在する必要性はない。

もちろん、エンジニアリング会社は他メーカーと比較した上で、最も要求に合致する機器を任意のメーカーから選定することができる。
そこに彼らの仕事の意義がある。
ただ、エンジニアリング会社を通すと最終価格は高くなる。
同じようなことは商社にも言える。

理屈で言うと、顧客にコンピテンスがあればあるほど、直接メーカーと契約することで安くていいものができる。
現実には、そのような顧客はより多くのこだわりを持つため、必ずしも導入コストは低くならない。

顧客の利益

納入業者が提供する付加価値、例えば、プロセス、機械、制御システム、トータルソルーション(生産スペース等の効率化、生産性、省力化、耐久性、保守性、安定性、安全性、衛生性を含め)が最大限に活かされることで、運用面において、経費の削減や付加価値の向上等による顧客利益の増加が期待できる。

顧客におけるコスト対効果。
この点で差別化できるかどうかがエンジニアリングの点でも重要になってくる。

確かに我々が提供する生産ラインはレディーメイドの製品群をベースにしている。
ある意味一方的になる面があり、顧客に、それまでの運用方法の見直しをお願いすることになるかもしれない。

その一方で、グローバル標準を採用することによる利点も提供することができる。
競争的な価格、信頼性、専門性の共有、速やかな立ち上げ、継続的なアフターサービス、等々。

カスタマイズしないことが利益につながる場合もある。

標準化とカスタマイズ

常にコストダウンが叫ばれる中、エンジニアリングにおいても、標準化は継続して進められてきた。
それは、ツールによる生産性向上とともに、手法や手段を共通化することによるグローバルスタンダードの確立へと発展してきた。

一般論として、不特定多数を顧客とするメーカーとしては、製作品の標準化が効率化を通して競争力の強化につながる。
それは、グローバリゼーションの中、徐々に顧客にも受け入れられてきた。

しかし、プラントエンジニアリングの点からは、顧客のカスタマイズの要求に対して逆行となるような場合もある。

製造プロセスとして一度標準化されたものは、カスタマイズの要求に応じるのが格段に難しくなる。

どこでどのように折り合いをつけるか、その回答は現場にしかない。

Ref.サラリーマン一般理論/標準化とカスタマイズ

競争力とは

ビジネスモデルとそれに見合うリソースを構築できなければ競争力は得られない。

例えば、製造設備の保守の場合:

規模を追求する工場の場合はダウンタイムが命取りになる。
製造コストをできるだけ低く抑えるために省力化や自動化が採用され、コストに占める人件費は抑えられている。
製造機械は、故障しては困る。
従って予防保全が重要になってくるが、生産性や製品の品質に影響が出るようなリスクを極力避けるためにも、長く使える場合でも大事をとって定期的に補修したり交換したりする。

部品のストレスの程度が外から見えにくいことや、機差を考慮し、万一に備えて余裕を持って交換するという考え方による。
信号機のLEDランプの交換などと同じコンセプトだ。

一方、小さな規模の工場では、むしろ修理や交換にかかる費用を抑えたい。
専任の保全要員さえいない場合もある。
従って、だましだまし使いながら、故障するまで使用したりする。

製造の現場からすれば、予防保全の費用は認められにくいが、故障を直す費用は認められるという事情も背景としてある。

但し、故障してから対応しても影響が比較的小さな場合もあるが、全体としてのコストや二次的な影響が大きくなる場合も当然ある。

積み上げた保全の知見やノウハウが生きていて診断の技術が高ければ、最適なタイミングで保全を行うことにより、機械の寿命を最大限有効に使用することもできる。
一見、リスクに見えるが、リスクを制御できればそれは強みとなる。

エンジニアリングでも同じことが言える。
何でもかんでも立派にやればいいというものでもない。
リスクを許容できるかどうか、顧客の利益になるかどうかが重要だ。

我々の強みはどこにあるのか。
押さえどころを抑え、必要により必要なエンジニアリングを行う。
省くべきは省く。
この合理性と結果を担保できるだけのコンピテンスがなければ、大手のエンジニアリング会社に勝るサービスを提供することはできない。

カスタマーサービス

一に機械、二にサービス、三にセールス、四にエンジニアリング、とういのは、企業の存続を考えた場合に本質的に妥当な順位だと考えている。
他方、お客さんの利益やお客さんへの付加価値の拡大、更に会社としての発展を考えた場合、エンジニアリングは不可欠といえる。

在り方

上述したプロジェクトの特徴を踏まえた上で、プロジェクトにおいて要求されていること、プロジェクトにおける自分の役割を考える。

プロジェクトは関係者全員の係わりによって成り立っている。
あるプロジェクトに少しでも関係する人間であれば、自分がプロジェクトの一部であることを認識し、自分のポジションにおける役割と共に、プロジェクトにおける最適を考えなければならない。

係わりの濃度や時間は人それぞれであり、しかもそれはダイナミックに変化する。
だから、意識しなければ制御できない。

それは考え方や理解の話であり、本来、難しい話ではない。
問題は、分担化された組織においては、部門の長は横方向の展開を制御できないために自ずと縦方向に視野が狭まり、部下においても明確なインセンティブが得られないことから受け身で仕事をすることになってしまう、というところにある。

この問題の解決には、各人の考え方の変化とともに、他との係わりにおいて自律的に働くという姿勢が必要になってくる。

重要なので繰り返す。
自分のポジションにおける役割と共に、プロジェクトにおける最適を考えなければならない。
仕事は、関係者全員の係わりによって成り立っている。


手法

前広

前広と後手。

後手に回っていっぱいいっぱいで仕事をする状況では余裕は生まれない。
苦しいだけで、改善の余地や新規の試み、マネージメントの意識さえ遠のく。
逆に従属の意識が芽生えもする。

計画し、時間を創り、進化する試みの余地を持つ。
前広の思考の意義がそこにある。

打開

無知ならば知る努力をすればいいが、思い込みが災いしているケースは適切な処方が必要だ。

困ったときには原点に返る。
マニュアルを読む。
etc。

誤りの確率

誤りが発生するのは確率の問題だ。
要はいかにそれを訂正できるかだ。

重要度に応じて見直しの回数や方法を変えるのと同時に、マーカーを使用した消し込みは基本的な誤り訂正の手法だ。
地道だが、それがエンジニアリングの品質を高めることになる。

修正

間違った情報は後から余計な手間がかかってしまう。
①情報の修正や復帰作業、②正しい情報の伝達や再作業、そして、信頼の回復。
更に間違った情報がもとで相手側が間違ったアクションをしてしまうと、その影響は一層大きくなる。

一般に修正には3倍の労力が掛かる。
実は、それは1/3の労力でやろうとしたことに問題がある。
本来は、その2倍の労力を費やすべきだったということだ。

計画と実行

やりかたの問題だ。

今日できることは今日やる。。。
明日できることは明日やる。。。
言われたからやる。。。

プロジェクトマネージャーは、予定を立ててリソースを計画してやる。
やる場合は管理し、改善していく。

アンドン(トヨタ)

経験により技術が向上し、生産性も上昇する。
このとき、負荷が同じ(同じ内容の仕事、量)であれば、多分その仕事において新たなトラブルは起こらないが、一方でリソースの効率的運用にはならない。

単に、気づかないうちに同じ仕事をゆっくりと時間をかけて行うことになるかもしれない。
新たな技術向上や生産性の向上の状況が見えにくくなる、あるいは期待できない。
従って、現状の処理能力よりも上の負荷を与えることが必要になってくる。
その際に、多少の問題が発生するのは是とすべき。

アンドン的に考えると、新たな問題点を表出させ、その改善を行って継続的に生産性を向上させる。
問題がないことは最大の問題。

マーシャリングパネル方式

プロジェクト要素を整理して考える。

図書管理

まるで記録庫、記録することが目的になっている。
記録して満足している。

実用に会するものかどうか。
それは実用に即してのみ判断することができる。

押し売りのような。
実用に役立たなければ本来の意味がない。

現場重視。
その対局にある思惑は、責任逃れ。

一方、ワーキングファイルの管理をおろそかにして生産性は求められない。
必要な情報を、タイミングよく、必要に応じ、速やかに伝達することができるかどうか。
その認識の差が結果の差となってくる。

ITの活用と検索手法。
全てのプロジェクト関連図書は、いつかデータファイルで管理される。

行き過ぎでなく不足でない。
ITを手段としていかに用に供することができるか。

ビジネスモデル

部門により営業戦略は当然異なる。
特に、強い機械、コンペティターの存在、顧客(3C)。

エンジニアリングのスコープや内容、やり方が変わってくる。

アンダーコントロール

ノーコントロールで放置しておくとろくなことにならない。

気づくこと。
そして、予断せずに事実から因果関係のみを抽出する。

モニタリングすべきは矛盾や変移であり、押さえどころを抑えて惑わされないようにする。
処置はコンセプトの段階で行わないと後々面倒になる。

センスが要求されることになるが、その前に意欲がなければ何にもならない。

イメージコントロール

経験があると、あり得ないことを目の当たりにしたときにすぐにおかしなことに気がつく。
次の工程においてあるべき姿をイメージとして捕捉できるからだ。

仕事においてイメージが描けるかどうかというのはとても重要な要素となる。
最も重要なことの一つかもしれない。

イメージと知識の二つが融合して初めて、何かを具現化するという過程が成り立つ。

イメージというのは、自分の経験の上に何らかの要求が入力されることにより生じる。
知識は経験から得られる。

創造は経験や知識となり、再びイメージの源泉となって新たな創造を生む。

経験を伴わないイメージは、あり得ないアウトプットを生みだす。

コンセプト

ビジョンはビジョンで大切だが、普段、あまり意識することはない。
実務を遂行するに当たっては、コンセプトが何より大切だ。

プロジェクトを開始するにあたって基本方針を周知して共通認識をはかるように、コンセプトはその仕事を遂行する上で拠りどころとなるものであり、根底に流れるものだ。

各プロジェクトごとに基本方針がある一方で、会社としての、そして個人としてのコンセプトが併存する。
それぞれの階層間においての調和が何よりだが、そのあたりを整理しないといけない場合もある。

特に個人としてのコンセプトはその姿勢に現れるものであり、それはその人が経験して獲得した生き方の表現でもある。

バリエーション

プロジェクトの手法にガイドラインがあったとしても、実際にプロジェクトを遂行する際にはプロジェクトで要求される内容により個別に最適化が行われる。

見える化や情報の共有、バックアップのために標準化が行われる一方で、プロジェクトの性格、顧客の満足、付加価値、経済性、リソース、等々の観点からプロジェクトはカスタマイズされていく。

標準化や画一化とカスタマイズはトレードオフの関係にある。
ターゲットへのアプローチにおいて個別の方針や対応を事前に描いておく。

プロマネの裁量によっても仕事の進め方は変わってくる。
ターゲットは同じでも、その道程が同じとは限らない。

プロマネの性格、立ち位置、プロジェクトメンバーや関係者の顔ぶれ等、様々な要素に影響されるからだ。
もっとも影響が大きいのはプロマネ自身が経験から得た教訓だったりする。

既に実績のあるプロマネと同じやり方になるとは限らない。
要は、その差をどのように昇華できるかだ。

別の言い方をすれば、正しい道が一つとは限らない。
どの道を通ってもいいということではないが、最も重要なのは間違った道を歩まないことだ。

要点やマイルストーンは押さえなければならない。
それは共通のベースになるもの。
ここはみんな必ず通る。

プロマネのジレンマ。
自分の経験と知識や知恵により、ケースごとに、自分を含めて最適化することが仕事の一部となる。

エンジニアリングの仕方

保守の方法に予防保全とトラブル対応の二通りがあるように、乱暴に、ドライに言えば二通りのエンジニアリング手法がある。
後で手間が発生しないようにするエンジニアリングと、後から細かな調整を行うことを前提とするエンジニアリング。

常に後で手間がかからないようにエンジニアリングをすべきと断じるつもりはない。
後からの調整を前提とするエンジニアリングの方が、効率のいい場合がある。

例えば、はっきりしない細かな部分のカスタマイズに時間を費やすよりも、もっともクリティカルな部分を設計し、細かな部分は現場で現合の加工を行う方が、全体として省コストが図られるようなケースは実際によく見られる。

あくまで計算できる範囲であることが前提だ。
不確定要素が増えれば増えるほど好ましくない。
業界によっては、そんなやり方はあり得ないかもしれない。

いずれにしても、通り一辺倒な、言われたことをやるだけであれば、そこに創造性や面白みは生まれない。

一歩前へ

もう一歩踏み込む前向きな姿勢により初めて潜在チャンスを活かすことができる。

実は、見えていない部分は大きい。
普段は効率に束縛されて気がまわらない、あるいは敢えて見ないようにするため、余計と思える情報は見過ごす、あるいはその存在自体を無意識化に置きがちだ。
ただ、効率化によって我々が入手する情報の多くは、ルーティーンワークにおいて自動的に選択された都合の良いものばかりだったりする。

専門家と話をすると、思わぬ情報や状況に遭遇する。

コンセンサスで決まるとなかなかひっくり返らないが、合理性の余地が残っている限り、建設的な主張によって新しい展開が導かれる可能性は大きい。
主張により成り立っている社会では、ゆえに主張しないと道は拓けない。

なぜ、を再び

打たれ、疲弊し、悲嘆し、気疲れし、前向きになれない。
それなら、少し休めばいい。

反省し、活力を取り戻し、再び立ち向かう。
英知と共に。

成長は、なぜ?から始まる。
考え、想像し、工夫し、成長する。

変えられない定めでも、疑問を持たなくなったら何も始まらない。
望まない運命でも、心を消してしまっては、「それだけ」になってしまう。


仕事人

ベテランの居場所

若い技術者と経験のある技術者との違い、優劣とは。

新卒で入社して3年以内の技術者は除く。
経験があまりにも不足だから。

3年目の落とし穴を経験し5年目にもなれば、一人前の仕事がなんとかこなせるようになる。
だが、20年選手と比べれば5年選手はまだまだ経験不足だ。
そのとおりだ。

では、5年選手が30年選手よりも劣っているか?といえば、現実的にはそうはならない。

ビジネスツールの進歩や電子化により、一人が扱う情報量は増大し、それに合わせてビジネスのプロセスも変革されてきた。
その変化は継続が要求されるような種類の変化であり、持久力が問われる。
そして、新しい技術に対しては、若い人の方が吸収力や適応力がある。

長く仕事を続けるということは、同じことを長く続けるか、色々なことを広く経験してきたということだ。
しかし、様々に、新規に展開するビジネスの領域を全て経験することなどできない。

ベテランは多少の応用がきくものの、未経験の分野においては、その分野を経験した若い技術者に対してパーフォーマンスが劣ってしまうことは当然のことだといえる。
そして、同じことだけを長く続けるということは、ビジネスではほとんどない。

逆に、長く仕事をしてきたことによるデメリットもある。
思考の硬直化や慣れ、技術を共有することの難しさ、新規分野への取り組み難さ、なにより、周りの若い人から理解されにくいという事実。

ベテランが若者よりも、つらく厳しい道のりを長く歩いて来たとしても、吠えるだけでは尊敬されない。

経験をつまなければいい仕事ができないことは多くある。
年を取ってそのような仕事ができるのは一つの幸運だ。

年功序列、終身雇用はコスト高を招く。
今の世の中はそれがまかり通る時代ではない。
懐かしむほど寂しいことはない。

専門家

餅は餅屋。
それはビジネスに参加する上での基本の話であり、我々はそのように仕事をするわけであるが、あえて弊害について言及する。
専門家の性格や振る舞いは別にして、次の留意すべきことがある。

頼りすぎると結果自分の身につかない、成長しない。

専門家にアドバイスを受けるのは有益であるが、その場合は責任の所在が必ずしも明確でない場合が多い。

専門家は容易に間違う。
あるいは、間違うべくして間違う。

情報や設定条件が有限である限り、専門家の判断はその範囲に限られる。
限定合理性。
彼らは条件が不十分であったとき、条件が不十分であったという弁明を当然の如く行う。
彼らの論理性において。

専門家は、明確になっている情報や設定条件のみに基づいて理論を構築する傾向がある。
分かっていない部分に束縛されすぎると成果に結びつかないから。

専門家は、概して不利なことを話さない。
専門性を保持するため。

小さな話であれば試行錯誤ですまされるし、その方が生産性が高まるかもしれない。

ただ、専門家の話を間違って解釈する、真に受ける、正確に伝聞しない、権威付ける、等々。
統治する者による机の上での話や決定は、ときに大きな悲劇を生む。

思考

客観的な視点で物事を定義し、仕事の全体像と工程と今を一つのイメージの中で捉えられるかどうか。
細かいこと、個人的な希望や損得に捉われると物事はうまく進まない。
建設的に考える。

それと、独りよがりにならない。
独りよがりになれるのは、結果として自分の世界のみ。
逆説的に、世界を広げることができない。
現状に甘んじ、そこで満足し、都合のいいように解釈して深く/広く考えようとしなくなる。

態度

ため息を人前でつかない。
悪意を持たない。
人を落とさない。
自分を落とさない。

態度や振る舞いを変えることは難しいので、まず、考え方を変えてみる。

プロマネ

理想と現実とのギャップを見極め、是正措置や制御をするのはプロマネの仕事。

自分を知る。
他人を知る。
会社としての身の丈を知る。

プロジェクトの全体像から必要なタスクをブレークダウンする。
ブレークダウンしたタスクを遂行するための人的リソースをアサインする。

人的リソースが優秀であり、彼らがその力を通常通り発揮できれば、そのプロジェクトはほとんど安心して見ていられる。
現実はなかなかそうはいかないが。

一方で、チャレンジが多すぎると間違いなく失敗する。
ラッキーが連続するなどという法則はない。
楽観的な先導者と経験的未熟者がリーダーとなった場合にそれは起こりうる。

要点はフレームワークで考えて、各種管理ポイントをムダなくもれなく押さえながら仕事を進めるのが、プロとしての仕事のあり方。

現場管理

例えば工事現場、そこで働く人たち。
子供から見れば働くおじさんだ。
外から見ると少し怖い感じもするが、中へ入ってみればやはり働くおじさんたち、ということがわかる。

現場の姿は過去からずいぶんと様変わりしてきた。
特に安全管理において。
現場には現場のルール、法令という意味において、がある。
特に、安全組織については独特の手法がとられる。

ただ、現場における作業の遂行と管理いう点では、PMと大きく異ならない。
その中で、業者を是正していくのも仕事の一つ。
頼るだけではだめだ。

唯一絶対の手法などない。
ターゲットはなにか?
高品質、付加価値、差別化、顧客の満足、etc。

しかるべき立場の人間が、しかるべき手法でもって応対しなければ現場は締まらない。

現場の現実論

現場は現実論で動く。
オフィスにいると正論を主張しがちになるが、現実に対応できなければ折衷案や妥協案もあり得る。

責任と仕事がステークホルダー間で明確に再定義できるのであれば、変化に対応することはマネージメントの手法の一つだ。

正論と現実論は同じにはならない。
多くの場合、正論は一方的な見地から論じられている。

頼りになる人

自分ができないこと、手が回らないこと、苦手なことを担当してくれる。
実行力があり、安定感がある。
周りから評価されている。
何とかしてくれる。

色々あるが、結果を出す能力とぶれないことが仕事の上では大切だ。
だから、芯があることが必要になる。
それは、経験であったり、知識であったり、適度な自信であったり。

経験がないことを想像力で補える人がいる。
対応力や突破力に優れた人がいる。

いずれも、洞察力とともに現実感に優れている。

専門性と占有

担当者が一人の場合、どうしても主観的になったり、依存度が大きくなりすぎることになる。
また、競争原理が働かず、客観的評価もできにくい。

情報を一人で抱え込んだ場合や、担当者が急に変動した場合のリアクションはスムーズにいくか?
リスク管理の点からも思わしくない。

T型人間

他の部門の仕事や知識に関心を寄せ、専門性の他に幅広い知識を身につけること。
プロジェクトは非常に体系的、組織的な業務であり、その業務遂行方法、組織体系などを理解することは、プロマネのみならずプロジェクトに関係する各人に望まれる要素だ。

結果を知らない人たち

彼らは、単に自分に回ってきた仕事をやっているだけだ。
自分がやっていることが、自分が作ったものが何に使われるかなど知らない。
それが、どんな意義を持ちどんな結果につながるかも知らない。

知ればもっといい仕事が出来るのに。