満員電車の詩

まんいんでんしゃのうた


トップページこれから

未来について

未来について語ると、野暮なことをいっているとささやかれる。
その風潮が、気がかりだ。
すでに起こった未来。

昨今、様々なメディアで、日本の行く末に対する問題提起や提言がなされている。
しかし、多くの人にとっては、それは他人事のようであり、あまり意識しないか、否定的、排他的な関心を装うか、あるいは、漠然とした不安、あいまいな確信のもてないもの、としてただ認識するのみ。

そして、多くの人が、不安だらけの将来に対し、他人任せ的な、どうにかなる的な、もしくは、なるようになる的な受身の発想に支配されている。

「いままで、何とかやってきたのだから、どうにかなるだろう」的な。
思考停止に至る典型。

とりあえず、みんな、言いたいことだけは言いたいらしい。
反論、肯定論、否定論を、善意の発露として。
踊らされているにもかかわらず。

不思議とも思えるのは、ほとんどの話が、「かつての現実」をベースに語られることだ。
そして、人から聞いたり、一方的に入手した情報を拠りどころとしているところだ。

衰退のエネルギーは軟着陸へと至るのか、それとも地上を穿ち再生への希望さへも打ち砕くことになってしまうのか。

既に起こった未来を知り、今の現実を正しくとらえないと、いくら今は魅力的な話でも、それが将来の災禍をまねくことにもなる。
百万の議論が空論にさえなる。

いかに生きいかに死ぬか

年をとり、経験を積み、自分を知り、そして衰えを知る。

若者のように無からの出発とはいかない。
常に現時点が出発点となる。

得意なことに注力し、多少なり伸ばすことを考えるのが正論だろう。

人生は思い通りにいかない。
次の未来へつないでいくことが重要なことだと思う。

しかるに、延長線上の人生に何を期待するのか。
悔いはないのか。
残された人生をしっかりと生きること、改めて創造への道を歩むこと。

死に方を考えることで、生き方をもう一度考えてみたいと思う。
自分は、これからいかに生きていかに死ぬか。

Copyright (C) 満員電車の詩 All rights reserved. wander_four@w3art.sakura.ne.jp