小世界


小世界

我々は小世界(スモールワールド)を生きる。

発想

ブレインストーミングから良い発想やソルーションが生まれたりするのは、新しいアイデアを独自に発見することや発想を転換することが、忙しい毎日を過ごす社会人にとって容易ではないということを物語っている。

ところが、よく閃く瞬間というのが一日の中にある。
ろくでもない閃きも含めて。
例えば、就寝時の眠りにつく前、朝の起きる前、トイレの中、湯船の中、シャワーを浴びながら、夢の中。。。
自分でも驚くような冴えを見せる。

サーチエンジンでつながるように、因果がつながる瞬間。
実用に供するかは別にして。

そのような時間や空間は、世俗にどっぷりとつかった凡人である自分の性質を、少しだけ高みへと導いてくれる。
現実と未来が混在する時間と空間。

ただ、現実論として、実行するには少し時間をおいた方がいい。
あまりにも率直すぎて、自由すぎて、実用的でない場合が多いから。
夜、感情にまかせて書いたものが、後で冷静になって読み返すと恥ずかしくなるように。

夜や朝に閃くアイデアは、多分、解放された静かで穏やかな空間につつまれることによって頭の中が澄みわたり、純粋で無垢な思考が、雑音が排除された頭の中を、自由に滑るように駆け巡ることによって導かれるのだろう。
そのような思考の冴えは、残念ながら、あるいは必然的に、日が昇るに従って光のまばゆさに覆い尽くされてゆく。
何かバカになってゆくような感覚とともに、代わりに脳の実務を担当する部分が目覚め、慌ただしい日常を生き抜くための活動を開始する。

善と悪

中学の時、一度も人に文句を言ったことがないという友人の言葉に感嘆したことがあるが、人の中には善と悪が、天使と悪魔が、正と邪が、共存するものだ。
どちらが現れるかは、感情と理性の衝突の結果による。
どちらが勝るかは、微妙なバランスによる。
体調や鬱積、疑念、プレッシャーの量にも影響される。

歳を取って丸くなったかもしれないが、歳をとっても負の感情を抱くことに変わりはない。
できるのは、理性で納得し感情の高揚を抑えるぐらいだ。

表に現れていないだけで、心の奥底には悪を抱える。

性格にもよるが、人に対して攻撃的でない人は、多分、悪の部分が小さいのだと思う。
残念ながら、世の中はそのような人ばかりではない。

孤独

人は一人では生きていけない。
独りよがりは客観ではなく、孤独は主観ではない。

制御できない感情の振幅が引き起こす熱中と冷静の間をさまよいながら、いつしか心は気疲れし、やがて訪れる破たんに恐れを抱く。
不器用さが誤解を招き自らを孤独へ追いやるとしても、現実を受け止めて自分を見つめる。

嘆かない、後悔しない、へつらわない。
維持することに意味はなく、そこに自分の満足を見いだすことはできない。

しがらみを断つのは次への歩みのためであり、責任は自分で取る。
集中と選択により思慮と経験を深め、目の前の現実という困難と対峙する。
自ら選んだ道は、耐えられるかどうかではなく、耐えるしかない。

孤独は、厳しさと優しさ、世界と自分を知る好機ともいえる。
耐えることにより土台を築き、次へのエネルギーを蓄え、わが道を模索する。
蓄積されたエネルギーは、ときがくれば進むべき道を照らす明かりとなって解き放たれる。

誰しも強い心を持っているわけではない。
挫けもする。
しかし、時間が必要だとしても、みんな立ち直る力を持っている。
次のためにポジティブに考えればいい。

賛同してくれたり温かく見守ってくれる仲間はありがたいものだ。
それは心強さとなり、支えとなり、次のステップへの助けとなる。

寒い夜、華やかに盛り上がった社交の場を後にして喧騒の街を一人で歩いてみると、かき消されそうな孤独の中、若き日の青い決意が、忘れてしまいそうな情熱とともによみがえってくる。

ものわかり

一般理論」の始まりは遠い日の「矛盾」にある。
そして「雑音」を整理しながら具体化されていった。
多くの経験と葛藤の末に今や五感は洗練され、思考は簡素化され、自由に、オープンにものごとを捉える事ができるようになった。

自分や現実に対する認識の深まり、そして、死に方を考える歳になったことで、自分の中の「ものわかりのよさ」が、今現在(2011年11月)、非常に高いレベルで充実してきている。
生涯で最高潮に達しているといっても過言ではない。
(但し、ものわかりがいいことと、納得できるかどうかは別の話だ。)

筆の達人が書く書はすべてが一級品であるように、ものわかりに関して自分は、達人の域に達したかもしれない。
筆の凡人が何百枚描いても達人の一枚にかなわないように、他の人が固定観念が邪魔して理解できない状況を、自分のものわかりのよさは、いとも簡単に見通してしまうかもしれない。

危険性に対する感応力は研ぎ澄まされ、やばいことは説明の前に知覚でき、解のあるなしは分析の前に自明となる。
見え透いた言葉や底の知れた思考など、簡単に見透かしてしまう。

もちろん、ものわかりがよすぎることは、大きな反作用もある。
想定の範囲を超える事象に対し能動的に対応ができなかったり、自分で枠を作ってしまい、自らの可能性を狭めてしまう場合がある。

可能性を閉じるべきではない。
枠の中よりも、知らない枠の外の世界の方が広いのだから。

しかるに、年を取ることで将来の可能性が狭まるのも確かだ。
今の年齢を受け入れ、残った仕事の整理と、次の世代への引き継ぎを意識せずにはいられない。
そして、自分が後、何をなすことができるのか。

***
ものわかりがよすぎると、周りを置いていってしまうことにもなる。
忙しさから配慮しきれず、後でいやな思いをする。

そんなとき、一人ため息をつく。
そして新しい息吹を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
***

不惑

40にして惑いまくり。
生まれてからずっと惑っているような気もするが。

子供の目に映る、いわゆる「立派な大人」、とはとても言い難い。
多かれ少なかれ大人は皆、そう感じるところがあるようだが。

子供の目から見れば、大人はみんな立派なハズ、だ。
子供のとき、犯罪を犯した大人が頭に服をかぶり顔を隠して連行される様をテレビの中で見たとき、不思議な違和感を覚えたものだ。
大人なのに。

いわゆる「立派な大人」になぜなれなかったのか?
どうしてこうなったのか?
いままで何をしてたのか?
問い詰めたくなる気持ちを抱く、が、大人だからわかる、大人だから立派だという道理はない。

立派な大人という概念は、全てに未熟な子供が大人に叱られることで焼きつけられる道徳観念の一つだ。

新しい価値観に遭遇すると、人は迷いを抱く。
想定通りにものごとが進まないことに、憤る。
期待に添えられないことに、答えられないことに、嘆き恥じる。
無知を知り、誤解に悩み、自らの性質に恐れを抱き、社会との接点に不安を覚える。
しかも、それらを繰り返す。

人は、何とこうも不完全なのか。

40を過ぎると、既存の問題を抱えたまま、衰えという解決策のない問題に取り組むことを余儀なくされる。
体の衰えは睡眠の変化と長引く疲労を持ち込み、脳細胞の衰えは培った土台をも消失させるかのように肝心な記憶さえ不確かなものとする。

立派な人間であらねばという強迫観念と現実や理想とのギャップ。
歳を重ねるごとに現実とのギャップは開いていくはずだが、痴呆のごとき症状により精神的にバランスされるためかそれほど痛みを感じない。
自覚のないまま老害になるのであれば見苦しい限りだ。

苦難の山河を乗り越えて、なお、自分が何者か分からず、時を迎え郷愁を抱く。

怒り

今でも怒りを抑えられずに感情的になってしまうことがあるが、感情的に怒った場合はほとんどの場合に後悔を伴う。
それが正義であると自分で思っていても、だ。

かつては、怒ることが自己表現であり、自己主張であり、自己解放であり、それでいいと思っていた。
短期で怒りっぽく、ピリピリしていてキレる。
それでもいいと思っていた。
後悔や反発は表に出るかでないかの違いしかなく、所詮、自分で責任をとらなければならないし、その覚悟を持って怒っている。

しかし、仕事で責任ある立場につくと、そうもいかない。
責任の範囲が広く重く、会社の業務に与える影響も大きい。
仕事自体が自分の責任で回らなくなるのは、会社から見ると業務の不履行というような意味になる。

怒るという行為自体についても、いつまでもこのままではいけないと思っていた。
怒ることはストレスにもなるので、ストレスをためないためにも怒らないという考え方もある。

だから、仕事では怒らないことにした。
それが丸くなる、ということなのかもしれない。

記憶力

人見知りすることや社交性は性格なのでどうにもならないことでありしょうがないこととして受け入れているが、自分の記憶力についてはもう一歩という点で、残念な気がする。
不満があるわけではないが、発想力や思考力は十分に恵まれていると思う一方、もう少し記憶力に長けていれば、更に大きな仕事ができるような気がするからだ。

記憶力は、論理力のベースになる。
一貫性が強化され、文章力や、同時多思考におけるパフォーマンスが向上するような気がする。

もちろん記憶力が良くても、仕事ができるかどうかや人間性となると別の話になると思うが。
とにかく、嘆いても仕方がないのは確かだ。

死ぬための準備

年を取ったので、如何に死ぬかを考えたいと思う。

身の回りのできごとから、死について考えることが多くなったためかもしれないが、何かの事故で突然自分が死んでしまったとしても、後に迷惑をかけたくないと思うようになった。
と同時に、後の世に何らかの貢献をすることや、自分の生きた証を残しておきたいと思うようになった。

この年なので、ある程度のことはやったという満足はある。
しかし、同時に、あるいはそれ以上に、出来なかったことへの負い目も持っている。

死ぬ準備をするのは、なにも今後の人生に希望をなくしたからというわけではない。
だらだらと流されるのではなく、今の人生を整理して一つの区切りをつけることで、残りの人生において、自分に何ができるかをもう一度考え、挑みたいという思いがあるからだ。

現実主義

現実主義者、あるいは現場主義者と公言しているが、それは、現実と理想との間のバランスを取る上で、地に足をつけてものごとに当たるという姿勢を意識したものだ。

我々が歩けるのは地面があるところだけだ。

理想が現実に変われば足の踏み場が更に増え、その次へと歩むことができる。

真実

「真実」は多数の人により真実と認められればそれが真実となる。
例、天動説。
今では地動説が真実と認められているが、本当に地球はまわっているのか?
自分で咀嚼して自分のフィルターを通して自分なりに確証しないと自分としての真実にならない。

以上は識者のコメントであるが、いちいちそんなことまで確証していては人類に発展はない。
そもそも、常に正しい解を導くフィルターなど持ち合わせられない。

社会的現実を受け入れてなお、本当のことを求めること。
それが自分の立ち位置だ。

世の中お金

一時期、世の中はお金だと公言していた。
それだけではないが、と付け加えていたが。

最近は、相手との距離感とリアクションに困るので言わなくなった。
当時、ミニバブルだったからかもしれない。

先入観や既成概念を排除した率直な感想を言ったまでだ。
金持ちになりたいという願望は常にある。

重要なのは、金持ちになったらどのようにお金を使うかだ。
平民である自分は、ささやかな贅沢ができれば十分に満足できる。

背景にあるのは、お金に束縛されない人生を送りたい、ということだ。
自分を解放してやりたいと思った。
束縛がなくなれば、失敗や後悔を恐れることもなく、自分が感じたことを、より純粋に表現することができるのに、と思った。

ところで余ったお金は、投資に充てる。
アンフェアにもがいている人たちをなんとかして支援できなか、という願いがある。

小世界の罠

道徳、ルール、伝統、慣習、教育、、、
小世界は、その世界を維持するために様々な価値観を押し付けてくる。
それは、ときに自らを縛りつけてしまう罠となることもある。

仕事、金、家庭、、、
一方で人は、生きる過程で物理的・精神的な束縛を常に強いられる。

景色

悩みを抱えている状況のとき、素晴らしい景色を見ても、胸に迫ってこない。

精神が圧迫されている状態では、感性を解放して純粋に感じるという行為に対し支障をきたすようだ。
余裕がないという状態。

若いころは切り替えができた。
なのに、年を取ると、そうもいかないらしい。

無意識に時間に限りがあることを意識してしまっているためだろうか、あるいは、脳細胞の衰えに先の見えない不安を抱いてしまうためだろうか。

シンクロ

よく勘違いされる。
多分に人見知りと意識過剰のせいだ。
思い込みが激しいからかもしれない。

それと、人があまり考えないようなことを考えているということもある。
自分なりの筋を通そうとすると、不器用でドライな振る舞いとなり、ときに誤解を招く。

形からよりも必要から入るところに一因もある。
型に束縛されたくない。

人見知りする人間は、他人とシンクロする術に長ける一方で、自信がないためだろう、自分にない他人の才能に憧れとともに畏怖を抱く。
だから他人の前で自分を表現することに過敏になりすぎてしまう。

最初は特定の人にシンクロしすぎる。
過剰を知り、結果、淡泊となる。

習慣

必要から入るということは、習慣付けられていないということを意味する。

もちろん、赤ちゃんや子供は形から入るに違いないし、それを強いられるようなところがあるが、あるときから、多分、自我を意識したときから、人は自分自身や周りを見つめ直すようになる。
但し、程度は人により異なり、多くの人は考える前に習慣を優先する。

時代を創るという意味では、必要から入らなければ何も始まらない。
形を重視する人にはそれが理解できないのかもしれない。

歳を取ると、気を付けた方がいい。
若ければ、その場その場で対応ができたことが、歳を取るとそうもいかない。

習慣付いていないと、対応に遅れや落しが生じることもある。
習慣付いている人からすれば、それが我慢ならないらしい。

この世界

人が溢れる駅前、
タクシーの列、バスを待つ行列。

想像しようのない数の人がいるのに、
ここに、自分が知っている人はいない。

普段親しくしている人はみんな、この理不尽とも思える世界で一生懸命生きている。
ここにいる人たちも、そうなんだろう。

子供の頃は、周りにこんなに人はいなかった。
誰に何を言ったかを覚えていた。

成長するにつれ、人の数は増えてきた。
そして、薄くなってきた。

自分とその他大勢の人、
自分の世界と同じように、その他大勢の人も自分の世界を持っている。

今、ここですれ違い行き交う人、
自分とは違う景色を見ている。

この世界は自分が作り上げた虚構ではないか?
大勢の人がそれぞれ自分の世界を作り上げ、多くの異なる世界が同時に存在する。

こんなに人がいるのに、
自分が知っているのは自分のことしかない。

想像するしかない、
想像だけがたよりだ。

所詮、五感で感じ考えることが全ての世界、そして自分が世界の全て。
世界はなんて広く、人は孤独なのか。

***

同時に、我々は世界の一部だ。
暗黒世界は自分が作り出した自分の中の幻想に過ぎない。

暗闇の中、自分の内面を照らし出すのは外の世界。
自分の世界に形を与えるのは外の世界と触れたとき。

人は歩む。
制御できない内と外の二つの世界に葛藤しながら、この世界に自分の立ち位置を探す。

孤独は世界を深める。
歩み続ければ世界は広がる。

回答は今の世界になく、我々は明日への伝承者となる。

世界の始まり

一生懸命に、耐えるほど、悩むほど、人はその世界で深みを増す。

そして異なる世界に触れ合ったとき、新しい世界が生まれる。

主観、客観と言うけれど、客観について言えば他人の目に勝るものはない。
例えば、自分の手の形を知るには、ガラスに映った自分の手を見るといい。
一方で、他人の眼を気にするなという。
一体この世界は、主観なのか、客観なのか。

人は、考えるのは主観としての自分であるが、住む場所を客観の中に置く。

その世界でしか生きられない。

設定あるいは想定

一般理論で述べているが、人はコミュニケーションを行うにあたりものごとを想定したり定義したりする。

その際、知らないことや経験がないと、わからない部分の設定や想定が過大になりすぎる傾向がある。
そうなると、本当のこと(後から明らかになる事実)になかなか近付けない、あるいはたどり着くことができない。
更に感覚に振り回され、状況を整理できずに断片的な情報にいちいち反応して一貫性のない対応になってしまう場合もある。

そうならないように、それを見極めるために、自分はこれまでの歩みのなかで考えてきたのかもしれない。

経験する必要がある。
しかし、経験だけでは不十分だ。

伝統

変化変化といっているが、伝統を軽視しているわけではない。
むしろ、伝統は尊重すべきだと思っている。
国民性やアイデンティティの源泉になるからだ。

ただ、現実は既に大きく変わってしまい、子供のころの生活スタイルや習慣、周辺環境、人同士の関わりあいは大きく変化してしまった。
田舎でさえそうだ。

束縛を嫌う自分にとっては反動の発露という点において、また、まったく異なる生活を体験することができたという点においてこの時代に人生を過ごせたのは幸いだったに違いない。

しかし、変化した後しか知らない今の世代や将来にとって、この変化の方向性がよかったとは簡単に言えない。
変化を知っている者からすればそのマイナスの側面に気付きそうなものだが、現実はほぼそれに甘んじるというのが実情だ。

要は、これからを考えたとき、成り行きのままではいけないということに気付くことができるかどうかだ。
そして、いかなる変化も伝統の真意に根差すべきということだ。

生活文化の面でこの変化はあまりにも急激であり、大きな行き過ぎがいたるところに見られる。
この変化が結果としてアメリカの影響を強く受けたものだということも、現実を歪める一つの要因だ。

社会人

会社の意向を伺い、会社のルールに従うことが至上と考える社会人よ、その拠り所に疑問はないのか?
もちろんあるだろう。

安穏に依存しそれを享受し続けることは、感覚を自ら麻痺させる行為だ。

年功序列の制度に適する者は、個人の振る舞いを会社の振る舞いとして強く意識できる人達だ。
会社の力を背景に、会社をある意味信じ、奉仕し、依存する。

いい意味でも悪い意味でも、その方が日本の社会にあっていた。
日本の社会がそうさせた。

だが変わった。
バブルの中、かつて新人類と呼ばれた若者が実社会へ浸透しはじめたころには、旧態依然とした社員の風習は、既に過去のものとなりつつあった。
その変化は、時代の変化の始まりを背景としていた。

自分はというと、会社人間になるつもりはなかったし、なることもできなかった。
もちろん、その過程で多くのことを学んだが。

今また、閉塞感を背景として年功序列を信奉する者が増えているという。
ただ、それは過去のものとは意味合いが異なる。
そこに活力が見られない。

自信

自信について語らないといけない。
自信を持っているのといないのとでは、行動において180度変わってくる。

もちろん、自信は実力や実績をベースとして築きあげるものだ。
そのために、人はチャレンジする。

自信がなくても、不足を補わねばという衝動をいつも大切にしておけば、社会の荒波の中で原動力となり自然に鍛え上げられる。

ただ、悩まされ続ける闇との確執の中で、いつしか心は疲弊する。

自信を失っていたのかもしれない。

劣っている部分があれば、優れている部分もある。
ダメだったときもあれば、うまくいったときもある。

それらを全部ひっくるめて、今の自分がいる。

一球入魂。
人事を尽くして天命を待つ。

パフォーマンス

安定性、集中力、記憶力、等々にどうしてもブレがある。
環境やその変化に惑わされる。
そのような人間の性質を制御することは難しいものだが、自分は他人よりもその影響を受けやすいかもしれない。

だから、一番いい自分を出す方法を考えてきた。
その方法が発揮できる場所や条件であれば、ある程度のパフォーマンスは可能だと言い切れる。

気負わず、臆さず、恐れず。
結果や成果に集中する。

小世界の秘密

同じ時空にいくつもの小世界が存在する。
その数は幾千、幾憶あるようで、身近に感じるのは幾十といったように、その時空は大きな広がりを持つ。
小世界の中にはいくつかのコアが存在し、分解できるのなら量子レベルで構成された分子に行きつくかもしれない。

それぞれの小世界は何かに固定されているわけではない。
見えない力によって引き合い、反発し合いながら時空を浮遊している。
小世界同士が引き付け合い交わることも、分裂することもある。

小世界は時空に均一に分布しているわけでもない。
それは群れのように集い、群れが更に集合して大きな大世界が形成されている。
大世界も、他の大世界とバランスを取りながら同じ時空に数えきれないほど存在する。

大世界の中で小世界は生まれ、属性を与えられ、形を変え、生涯を終える。
様々な形と光、大きさ、認知できものと出来ないものが共存し、未だ見ぬ形態や存在を内包する。
あるものは大きな輝きと熱、質量で他を圧倒し、あるものは姿を潜め、あるものは爆発して周りの小世界をまったく別のものへと変えたりもする。

世界は流動している。
旋回している。
その速度ははかりしれないが、日々の日常では知覚できない。


満員電車の世界

満員電車は都会の象徴だ。

世の中の人は、サラリーマンとそれ以外に分けることができる。

ここで言うサラリーマンとは、会社のサラリーマン生成システムに基づき生成され、とめどなく次から次へと社会へ送り込まれる人たちのことだ。
会社に忠誠を誓い、否応なしに競争を強いられ、組織の歯車として全力をささげることを要求される人たちのことだ。

サラリーマンは、どうしてもその性格上、会社に忠実で、自己犠牲をよしとする傾向がある。
それでいて、自由競争社会の構造変化にもろに影響を受けるのも、サラリーマンの宿命だ。

一方、現在の日本の社会を築き、維持しているという点において、サラリーマンは大きな役割を担っている。
サラリーマンは社会に安定をもたらし、その土台の上で、人は、やりたいことをやることができる。
ただ、残念なことにサラリーマン自身は自由に使える時間が相対的に少ないので、やりたいことをする時間も少ない。

世の中に様々な主張や論調が発信されているそばで、良いサラリーマンであればあるほど、思索をするようなゆとりもないし手段ももたない。
個人として顧みられなくとも、憤りを感じながらも、習慣となった忍耐で、とにかく我慢する。
世の動きに対してどうしても受動的となるため、情報に後れを取り、追従者のような扱いを受けもする。

ただ、サラリーマンだから知る、サラリーマンでなければ語れない、机上や上辺ではない、地に足がついた現場の世界やそこで展開される裏方の世界がある。
自分は良いサラリーマンではないかもしれないが、そのような世界を知っている。

サラリーマン生活も20年を超えた。
人生設計というものを具体的に意識することもなく突っ走ってきたが、年を取り生活が安定してくるにつれ、迎える人生の選択肢は急激に少なくなる。
何かが終わり、何かが始まり、使命ともいえる従属に束縛されていく。
訪れる節目節目は始まりと終わりの象徴だが、歳をとると、終りのほうがずっと大きくて重い。

人生は時の訪れであるが、その中で覚え、栄え、落着き、そして衰える。
いよいよ体力も衰え、現実に抗う気力も減衰し、なるにまかせ、いわば惰性で人生が運ばれていく。
それを受け入れるかどうかは人生の問題であるが、受け入れられるかどうかはまた別の話だ。
だから、あがく。

サラリーマンなので、人生の教本や誰彼の立派な本などはあまり読まない。
人生で遭遇する様々な場面や局面において、自分で考え自分の答えを導き出すことを信条としている。

だから、これからの人生、いかに生きいかに死ぬかについて、自分の言葉で、自分の経験、知識、仕事、趣味、価値観、性格、資質、考え方、感性、存在、係わり、をもとに整理しながら、自分が発見したことや自分が考えていることを、無形・有形の形で記していく。

上京

東京近辺、関東エリアは、いなかでは全て東京扱いだ。
だから、横浜に住み、横浜に勤務することになっても、上京という。

上京してきたのが3月24日。
四国の小都市からやってきた。

都会の生活に対し、ある種の嫌悪感(先入観?)を覚えるのは分かっていた。
魅力があることも分かっていた。

望んだのは、この中で揉まれることだった。
体験し、強くなることだった。

無防備でやってきたのではなかった。
信念を持っていた。

自分がどこから来たのか知っていた。
どこへ行くのかはおぼろげながらわかっていた。

自分の存在について知っていた。
自分が無知であることを知っていた。

処世術など何もなかった。
ただ、今までの人生で、世の中を見る目を、人を見る目を培ってきた。

東京

まず、これからの生活において気をつけたことは、次のことだった。

1.慣れないこと
2.受け入れること(事実を認めること)
3.耐えること

人は、慣れることにより安定していく。
慣れることは、自分を守ることだ。
しかし、反面、当たり前でないことを当たり前であるがごとく認めてしまい、本来の自分というものを抑えてしまうことにもなる。

事実を認め、受け入れる。
事実を否定しても、何も始まらない。

若いころは苦労するのがよい。
耐えることをいとわない。
年をとってから、苦労をしないために。

満員電車

みんな無口だった。
みんな他人であった。

朝っぱらから、体を寄せ合って、何かおかしいんじゃないの?
朝っぱらから、なんで顔を突き合わせ、なんで息を吹きかけられなきゃならないの!?
なんで一日の始まりに、虚無な顔に囲まれなきゃならないの!?

おれは、あんたたちの仲間じゃない。
仲間にはならない。

朝から脱力感をさらけ出して、仲間に寄り添いながら、貨物のように運ばれて。

電車は進む、どこまでも。

******

「満員電車の詩」は、サラリーマン哀歌であり、いまだ埋もれながらも自己表現に挑む人たちへの賛歌だ。
不条理に対し、まじめに、もがき、あがき、しかし、従順に流されることを是としない名もなき人たち。
そんな人たちへの応援歌だ。

ところで、自分は毎日満員電車に乗って通勤をしていたわけではない。
受け入れざるを得ない場合があるとしても、打開する方法を常に考えるのが、自分のやり方だ。

方法は、実は色々ある。
住んでいる場所や会社そのものを替えるのも一つの手だ。
現実的には、会社の寮に住んでいて、入社したばかりだからこの方法は無理であったが。

朝早く起きて、すいている時間に移動するのは、最も現実的な手法だろう。

自分は、持ってきていた自分の車で通勤した。
早く行けば、道は混んでいない。

自動車通勤は、会社で認められているものではなかった。
だから、駐車場があるわけではなく、近くで問題なさそうなところへ路上駐車するのが常套手段であった。

昼の休憩時間、車でベイブリッジや公園へ行き、自分だけの時間を過ごすのがささやかで秘かな楽しみであった。

まじめ

社会人になって最初のころ、先輩との会話の流れで自分の性格について話したことがある。
その際、自分は「まじめ」です、というように話した。
何の話の流れだったかは忘れたが、これは、自分の社会人としての最初の宣言、ステートメントであったかもしれない。

先輩は戸惑いながら「自分のことをそういうふうに言うのはめずらしいな。」というような返事をしたのを覚えている。

どう受け止められたかは定かではないが、自分はいわゆる規則や指示を守ることを第一義とし、模範的で勉強ばかりしているような、常識で言うところの「まじめ」な人間ではない。

何にまじめかと問われれば、自分の信条や信念に対してまじめだと答える。

自分にとって大切なことは、現実の中から自分が発見した「本当のこと」、であり、それにまじめに対峙する、ということだ。

ズラしの美学

集団にいると自らの位置を端に持っていく。
高いところから眺める光景に、別の視点を発見する。

出社の時間は混む前とする。
込んだ電車には出来るだけ乗らない。

群れない。
自分の判断を持つ。
流行は追わない。
標準でいることを避ける。
大多数や権威に依存しない。
安定に留まらない。
一番を目指す競争には参加しない。

性格から、自分が主役を演じるタイプでないことは早くから分かっていた。
小学校のときの夢は、テレビアニメの中の、ヒーローではなくヒーローを支える科学者だった。

他の人ができることをうらやみながらも、自分の長所を活かすことを心掛けてきた。

集団にいれば安心で心休まるかもしれないが、存続し続ける集団などない。
慣れは感覚を鈍らし、安穏は発想を曇らす。

もちろん、ズラすことが目的になってしまっては見えるものも見えなくなってしまう。
人と同じ視点でものを見ることが出来なければ、世の中の矛盾を見ることもできない。

視点や行動をズラすことで、新しい視界が開ける。
発想を束縛から解放し、多面的にものを見る。

子供のころからそのような傾向はあったが、上京したころ、社会人として感じていた違和感や経験をもとに、考え方や行動の指標とした概念が、この「ズラしの美学」だ。
このコンセプトは、今も生きている。

素朴派

若い時代を田舎で過ごし、社会人になってから上京してきた人には、ある特有の傾向が認められる。
自分を含め。
それを素朴派と名付けた。

素朴派の特徴は、一言でいうと純なところだ。
社会に出てこなれてきても、その気質においていなかのおいがする。
芯の部分は都会の色に染まることはない。

それは、決して不利なことではないし、どちらかというと自慢できる点だ。
そのにおいは消せないし、消そうとする必要もない。

比較して都会育ちの子は、いびつさやある種の矛盾を本質的に抱えているように感じる。
生活において駆け引きを迫られてきたような、あるいは都会が持つ社会的な矛盾を反映しているような。
若くして処世術のようなものを身につけ、流行と周りがどうしても気になる。

さらに都会の周辺部には、都会にあこがれながらも、あるいは都会の華やかさや眩さをすぐそばで感じながらも郊外に暮らすといういびつな生活環境により、現実と妄想との狭間で肉体と精神が分離したような人が多くいるように感じる。

もはや昔ながらの田舎といえるような風景や習慣を保ち続けている場所は少なくなりつつある。
素朴派もどんどん少なくなっていくのだろう。

サラリーマンであるまえに

「サラリーマンであるまえに、詩人でありたい。」
別に詩を書くわけではないが。

サラリーマンの矛盾とある種の不幸、ハードワークと仕事に明け暮れる生活を思うとき、職業=サラリーマン、という事実を受け入れながらも、反骨精神の置きどころとして、サラリーマンは仮の姿であり、自分本来の生き方を模索することの方が、サラリーマンであることよりも重要なことだ、という意識を維持するために、若いころ心の中で反芻した言葉だ。

得られるものと失うもの

会社を辞める際の判断材料の一つとなったのが、この考え方だ。
つまり、得られるよりも失うものの方が大きいという環境/タイミングであれば、転職という選択肢が打開策の一つとなる。

得られるものと失うものを単純に比較することはできないし、ある瞬間を切り取って評価しても無意味なわけだから、この判断はどうしても感覚的な要素を含むものとなる。
ただ、将来どうなるかなど誰にもわからない状況において、感覚であってもそれは感情からは分離されたむしろ感性に近いものであったから、自分の判断には自信があった。

得られるものがある一方、失うものがあるという避けられない現実。
失うものの最たるものが、時間だからだ。

掃除をしよう

まず、掃除をしなければ。
とにかく掃除をしよう。

「大いなる計画」は既に始まろうとしている。

だが、掃除をしようと思っても、なかなか手がつけられない。

機は熟しつつある。
タイミングを逃すべきではない。
そろそろ、扉をこじ開けて、一段上へあがらなければならない。

この段階で、今、何をすべきかは知っている。
自分に何が必要なのか分かっている。

ここに、一つの杭を打とう。


人に歴史あり

成長

認められたいという強い自己顕示欲を抱くのは、現実を伴わないひねくれ者の性なのかもしれない。
自尊心が強いがシャイ、もしくは、シャイだから自尊心が強い。
人見知りが激しく、人と打ち解けるのに時間がかかる。

周りを気にして何か特別な振る舞いで誤解されることを恐れ、自身が安心でいられる関係に執着する。
言葉で語るのは苦手だ。
ふれあいの方がいい。
会話していてもすぐに冷めてしまい長続きしない。
そのくせ反論ばかりする。
社交性に劣る自分の欠点と臆病さを嘆きつつ、夢想に遊び自戒の念にさいなまれる。
やがて、安穏や群が絶対のものではないということを学び、自らの気難しさや感情の湧出によるトラブルにうんざりし、留まることに潜在的な危険を感じる。

多面的なアプローチを好み、埋没することの不幸を恐れる。
不公平を知り、相対を知り、それでも事実をありのまま受け入れる。

内省的で、自分の能力と現実とのはざまでもがきながら、納得するまで考える。
蹉跌と昇華は常に身近にあり自身の裏と表であった。

苛立ちに心が疲弊し、つまらないことで傷つく。
いつも何かで苦しまなければ心が維持されないとでもいうのか。
生きるという実感を得るために。

そして成長期の体験と許しは精神を強化し、大人になってからの許されざる辛さに耐えるための糧となる。

積極性と消極性、期待と不安、歓喜と失望、楽観と悲観、成長と後悔、勝利と屈服、優越と屈辱、正義と自己満足、格差と平等、合理性と精神性、解放と執着、イメージと実物、理想と現実。

相反する二つの極を渡り歩きながら、こみ上げてくる怒りと苦しみと悲しみに疲れ、屈折し、反省し、ジレンマをまといながらも、現実という一本の道を迷わないよう、変わることのないものを探し求めてきた。

立派な人間であらねばという道徳的束縛は、行く道をふさぐ壁として立ちはだかり、ときにわが身を守りながらも、ときに足かせともなる。
自由への渇望との間で葛藤しながら、ときの癒しに救われながら、わが道を今も模索する。

愚直であることは誤解を招きやすいのかもしれない。
頭では理解し合えないと結論づける一方で理解してもらいたいという強い思い、という感情の矛盾を抑え込む。

現実は過ぎ去り、過ぎ去ったものは過去となる。
できることのために、未来と対峙する。

前に進む。
現状を嘆きそれを言い訳にせずに。
未来のために。

具象と抽象が入れ替わり立ち替わり脳裏に現れ、自分を前へと突き動かす。
能力を補うための様々な試みに挑み、自分で思う以上のパフォーマンスが発揮できることも分かった。

20にして社会の原理を知り、30にして実現し、40にして未だ心は惑いさまよう。

心配

心配するだけでは何も解決策は出てこないのに自分は心配ばかりしている、ということに、自転車を漕ぎながら中学校へ向かう通学の途中で気がついた。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉は、小学校の時にマンガで知ってずっと心に残っていた。

「初心忘れべからず」、「ちりも積もれば山となる」や「継続は力なり」という言葉は定番であった。

兄の机に飾っていた額に書かれていた「立志」という言葉を中二の学級の目標に提案したが、I君が提案した「文武両道」という言葉があまりにも新鮮で衝撃だったので、そちらに譲った。
そのとき担任の先生は、むしろ「立志」を押してくれていたようなのだが。

夏休みの目標は、いつも「規則正しい生活」だったが、特に意味はない。
夏休みに目標ということ自体が当時の自分にとって意味が薄く、いつも反省ばかりしていたのでこの言葉になったように思う。

やはり中学の何かの個人の目標設定の際、ちょっとした変化に事前に気づくようにする、というような目標を立てたことがある。
先生は、なんだこれ、といっていた。

今、バス停でバスが来ないか何度も振り向いて確認する人を見ると、自分は振り向かない、と思ってしまう。
振り向いてもバスは来ないから。

かんな事件

針金をまっすぐにのばしたかった。
何か平らなものを探していて、なぜかじいちゃんのかんなを持ってきた。
たまたまそれが目にとまったのか、平べったいイコールかんなを連想して短絡的に選んでしまったのか。
もちろん、そんなことに使用したら刃に傷がつくだろうし、木の部分にも痕が残るようなへこみができるだろう。
多少は自覚していたが、許してもらえると思ったのかもしれない。
祖父は、教育的指導だったのか、見境もなく怒り心頭に至ったのか、いずれにしても、ひどく怒った。
自分に対しての、祖父のそれまでのやさしいイメージは一気に吹っ飛び、祖父に対し、人を理解しない、気を使わなければならない人、というような新しいイメージを抱くことになった。
自分にとってそれは一つの成長だったのかもしれないが、こんなことで子供をしかる大人にはなりたくないと思った。

ただ、それが、大正の男というものだったのかもしれない。

絵を描く

昔から有形無形の「なにか」を創るのが好きだった。

それは、あるときは自分自身の影、あるときは光の部分を表現することだった。
が、いずれにしろ、「なにか」を創ることは、人生においてある種必然のことであるのを感じていた。

小学校の頃、図工の時間が楽しみだった。
絵は、一番ではなかったが、うまい方だった。

二年のときの授業で、身の回りの小道具、例えば、ものさし、えんぴつなどに墨を塗り、それを画用紙に押し付けて墨絵を描いていくというのがあった。
そのとき描いたクジャクの絵は、なかなかの作品だった。

また、なにかの機会に描いたニワトリの絵は、胴体はまずまず描けたのだが、足がどうしてもうまく描けなかったのを覚えている。

人を描くのは苦手だった。

中学のとき、船の絵で、大したことはないがなにかの賞をもらった。
その絵は、先生のアドバイスで、原色の絵具を直接に画用紙へ配置するという手法を一部で取り入れた。
そのときは、変な描き方だが、面白い表現の仕方だと思った。

中学三年のとき、最後の授業で描いた絵は、先生が好きなように描いていいといったので、そのとおり好きなように描いた。
それは、どこまでも続く階段と、割れたガラス、扉、欧米の古い時代のドレスを着た婦人(何かからの写し)、といったもので構成した、全くのイメージで描いた絵だった。
自分では自信があったのだが、先生にもらったのは三重丸だった。

これらの絵は、誰もがそうだろうが、今はもう形あるものとしては残っていない。

高校のときは、美術専攻ではなかったので、特に何かを描いたという記憶はない。
そして、大学のとき、美術部に入部して筆をにぎるまで、絵を描くことからは遠ざかっていた。

ところで、大学二年のときに美術部へ入部したわけだが、それは別に、突然、芸術に目覚めたとか、絵を描く使命感におそわれたとか、はたまた異性に関係する理由とかからではない。

純粋にではないかもしれないが、それは、芸術とは何か?といった、素朴な疑問からであった。
そして、実際に体験しないと分からないだろうという考えからであった。

実社会にでてからは、最初の会社で美術サークルに入った。
先生は、画家であった。
画の奥深さと同時に、人の歴史や人生について感銘を受けた。

芸術というものをより身近に感じ活動したこの頃、大学から社会人の最初の頃だが、想像していたものよりも深く、そして多くのことを学び、また、自分も成長した。

現在、絵は描かなくなったが、もちろん、絵だけが表現の手段ではない。

「なにか」を創るということは、必然のことであり、必然のごとくそのときはやってくる。
それは、生き方の一様として、切っても切れないものだから。
悩み、成長していくその過程で、生き様として、それは、具現化してくるから。

学校の試験

いつも、ケアレスミスをしてしまう。
時間が余ったときは見直しをするが、それでも見落としてしまう場合が多い。

思い込みが影響しているのだろうが、一度そこへ行きつくと、戻って客観視するのはなかなか難しい。
多かれ少なかれみんなそんな性質をもっているのだろうが、一度イメージが出来上がると修正するのは難しいというなのだろう。

映像

白黒テレビ、カラーテレビ、テレビの中のヒーロー達。

映画といえば映画館。
映画館と言えば、手書き看板の絵。
右手で鉛筆を持ち、左手で消しゴムを持つ、両手使いのチュウジのおやじさんが絵描きだった。
角川映画の衝撃、薬師丸ひろ子、原田知世。
圭吾と行ったシキシマ。。。
成長とともに映画あり。

EP、アリスのチャンピオンを買った。
LP、同級生へ貸したオレの中島みゆきはどうなった。

ウエストサイド物語、いきなり歌いだして踊りだした!

学校の授業

先生の話を聞かなくなったのは、いつ頃からだろうか。

もちろん、全く聞かないわけではないが、自分にとって授業はまるで自習のような意味合いであった。
教科書に書いていることを延々と講義され、疑問に思った点を個別に聞けるわけでもない。

だから、授業が始まって教科書を読んで一人で理解して納得する。
自分のペースで進められる。

最初は、授業の進捗よりも独習の理解の方が早いので、理解したうえで残りの授業に耳を傾ける。
しかし、学年が上がるにつれ段々と中身は難しくなってくる。
理解できないと、そこで詰まる。
立ち止まり、しかし、分からないまま次へ行く。
そうすると、つまらなくなる。

いずれにしても、後で試験勉強しないといけない。
本当は予習しておけばいいのだろう。
(するかどうかは別の話)

やはり、そんなやり方だったのが、高校の一部の授業(物理など)についていけなくなった理由の一つだと思う。

そもそも、勉強することの意義を見出せない世代であれば、興味がなければやる気は起こらない。
古典や国語は惨憺たるものだった。
古典の小テストでまさかの8点を取ったときは、さすがに笑うしかなかった。

国語が面白いと思ったのは、高校の卒業間近だったのだから、あまりにも遅すぎた。

書き出す

仕事でも、やらなければならないことを書き出すと、悩んでいたのがウソのようにすっきりすることがある。
もやもやがあると、疑心暗鬼が膨らんで余計な雑念が頭の中を駆け巡る。

頭の容量には限度がある。
余計なことに費やすと、新しいことが入ってくる余地が少なくなる。

同じことを繰り返したり、堂々巡りになることがある。
考える力は必要だが、曖昧な記憶を反芻するばかりでは脳の活力も鈍化する。

頭の中ですべてを整理できればいいのだろうが、記憶は絶対ではない。
歳を取ると、記憶がスワップしたりする。

書き出せばいい。
書いて記録し、余計なことまで記憶し続けない。

そして、新しいことを入れるスペースを作る。

40後半

何でもかんでも一生懸命という性格ではない。
どちらかというと、一球入魂だ。

見切りが早く、淡泊かもしれない。
一方、若いときの苦労は糧になるという方針のもと、成長を信じて厳しさの中に歩みを進めてきた。

それが仕事のスタイルに表れているが、歳をとってから苦労をしたくないというのも最初から思っていたことだ。
それは、大きな流れの中での話だ。

しかし、先のことなど分からないのだから、逡巡する。
衰えが現実のものとなっても、それで終わるわけではない。

肉体の衰えとともに、保守の感情が迫ってくる。
想定よりもずっと早い気がする。
それでも、老害を排し、まだまだ歩み続ける決意ではある。


感想

「ちびまる子ちゃん」 さくらももこ

ちびまる子ちゃんのモデルは、作者のさくらももこらしい。
「ちびまる子ちゃん」には、確かな現実の生活に基づいたエッセンスがある。

スカスカの作り物とは一線を画した、現代のカタルシスだ。
希薄化し方向性をとらえきれない現代によみがえった、変わっても忘れることのない、古き良き時代の思い出。

さくらももこという才能と感性が成し遂げたこの仕事(作品)は、世の中に広まることで特別視される存在になってしまったのかもしれない。

しかし、作品が発表された時点では、一人の人間が為した一つの小さな出来事に過ぎなかっただろう。
作品が取り上げる題材は、特別なものではない。

しかるに、本物を描いたという点において、この作品には特別な意味がある。
このような作品が生み出されたのは、我々世代の日本人にとって幸福な出来事の一つだ。