サラ忍マンコミュニケーション


一般論

これだけ連絡すれば相手が汲み取ってくれるだろうというやり方は、相手のことを知っている場合に限り有効だ。

コミュニケーションの悪化のメカニズムは、まず最初に小さな誤解から始まる。
そしてそのことで憶測や疑念が生じ、それが不信感となって更に大きな誤解へと循環していく。

但し、世の中には価値観の違いからどうしても理解することができないこともある。

相手

見える場合もあるし、見えない場合もある。
相手がいなければ、表現すること自体が無意味となる。

伝統品や伝統芸能、芸術やパフォーマンス。
この場合も、作ること、表現することがコミュニケーションになっている。

コミュニケーションは相手なくして成り立たない。

ことば

中学で始めて英語を習ったとき、最初のうちはある基本的なことを見落としてしまった。
日本語と英語の単語が一対一に対応しているわけではないということを。

英語の単語を辞書で訳すことから始めるので、いつの間にかそのように思い込んでしまったのかもしれない。
当たり前の話であるが、同じような意味の単語があったとしてもすべてが一致しているわけではない。
ニュアンスの違いと表現するのはその一例だ。

自分が喋る言葉をどこで覚えるかというと、当然、生活の中で徐々に覚える。
覚えようとして覚えるわけではない、言語中枢の発達とともに、自然な現象として身に付く。

言語の違いに限らず、人の成り立ちは人それぞれなのだから、言葉の定義は人によってもずれることがある。
環境が違うほど、普段的でないほど、共有しないほど、そのずれは大きい。
そのずれは、誤解、疑心、憶測、を容易に生じさせる。

人は言葉で理解しあおうとする。
表現で理解しあおうとする。
ただ、容易に誤解もしてしまう。

言葉

「説明しないとわからない」ことで、「言葉でちゃんと説明してほしい」ことは、言葉で説明してもわかってもらえないことがある。
そもそも、言葉で何が説明できるのか?

体で覚えろとは良く言ったもので、感性、感覚、経験にかかわることは、言葉で説明しても伝わらない。

言葉ですべてを表現することはできないし、言葉で表現したことがすべてでもない。

つまり、何かを伝えるとき、言葉ですべてを伝えることはできない。
言葉で伝えたからといって、伝えたいことのすべてが伝わっているわけではない。

では、何を言葉で伝えるか?

「相手が知らないこと」と「自分が伝えたいこと」は別の次元にある。
相手にとってどんな情報が有益なのかなどわからない。

従って、自分で判断すべきでない。
予断すべきでない。

インターフェース(コミュニケーション)

コミュニケーションの問題が常々指摘されるように、人から人へ何事かを伝えるということは、常に困難を伴う。
少なくとも、共通のベースとなるものがなければ、コミュニケーションは成り立たない。

そもそも、人から人へ何事かを伝えるという行為自体が直接的に何かを創造するわけではなく、それ自体は非効率で大変な労力を伴う作業だ。
それでもコミュニケーションをはかろうとするのは、一つにそれが人間の性であり、一つにそこから大きな展開が見込まれるからだ。

ビジネスにおいては特に後者が重視される。
同時に、ビジネスコミュニケーションにおいては相手に誤解を与えないことが効率性のカギとなる。
それを意識する。

言葉だけによるコミュニケーションよりも、(直接対面して)ボディーランゲージを利用できれば、ずっとスムーズなコミュニケーションを図ることができる。
一方、百聞は一見に如かず、というように、実態(事実)を目の当たりにすれば、ものごとへの認識が更に高まり誤解も減る。

一般に、社会はルールを作り、規格化を行い、役割を定義することでコミュニケーションを促進しようとする。
しかし、変化する社会においては、それらの仕組み作りが現実の変化に追いつかない。

インターフェースは、その数が増えるほど効率化を阻害する要因になる。
一方で、それを克服することは、チャンスにつながる。

コミュニケーション基本原理

人との係わりが好きかどうか、あるいは得意かどうかにかかわらず、ビジネスはコミュニケーションで成り立っている。
効率と生産性に根差した情報の確実な伝達と速度がキーとなる。

残念ながら、個人のし好や能力の以前に、この当たり前のことが共通認識されていない場合が多い。

「仲間意識」はコミュニケーションを促しはするが、それは閉鎖性や自己満足と裏腹な関係にある。
狭い範囲でのルールとそれを外で用いようとする行為は、独善や傲慢の助長につながる恐れがある。

今は、古き良き時代ではない。
成長した会社のコミュニケーションであるならば、変化や展開において有効でなければならない。
それが維持可能性の条件となる。

ツールが発展しコミュニケーションの方法自体も大きく様変わりしてきた。
扱う情報量が増え、関係するインターフェースの範囲が拡大する。
同じ手法で量をさばくと薄く軽くなる。
薄く軽くなると間違いが増え、やり直し(むしろ二次的な)が増える。

無駄が増え、C to C は大きく蛇行して競争の阻害要因となるばかりでなく、関係者の心身をも疲弊させる。

前提条件

世の中には誤解が満ち溢れている。

情報の非対称性を理解しなければならない。
自分にとっては一般的な知識や情報だとしても、相手が自分と同じ知識や情報を共有しているとは限らないし、同じ言葉を使っていても、経験や環境から別の解釈をしている場合もありうる。

初めて仕事を共にする場合はそのことを前提条件として留意し、お互いを分かってきてからも、それは常に意識しなければならない。

コミュニケーションのパターン

コミュニケーションには三つのパターンがあるようだ。

一つ目は主従関係。
文字通り片方が主でもう一方が従。
立場や力、知識や経験の格差が明確な場合や、その人の性格によるのだろう。
いずれにしても、主側に能力がないと話は進まない。

二つ目は相互理解。
一般的なコミュニケーションがこれにあたる。

三つ目は相互不理解。
文字通りコミュニケーションが成立しない場合だが、これも一般的にある。

コミュニケーションの促進

メールする、会話する、直接会って話す。
現場を自分の目で見る。

相手の顔や雰囲気、態度、を感じ取る。

直接自分で確認できれば次の二つの点で集中が高まり、スムーズな理解とコミュニケーションの促進につながる。
一つは、欲しかった情報がより正確に入手できる。
もう一つは、不要な疑念や憶測を払しょくできる。

簡単だと思うことが簡単ではない法則

一方的に自分のペースで話をする人がいるが、それがビジネスではフェアでないということに気付いていないようだ。
とりあえず話を聞くが、ストーリーは事前にあり自分の目的に合うように話を誘導してくる。
無意識に情報を操作しさえもする。
そして、言ったでしょ、という都合のいい方便。

理解が足りない。
扱っている製品に対してだけでなく、ビジネスモデルに対しての。

一般に、外資メーカーの担当者は顧客を理解しているが、残念ながら、顧客は外資メーカーを理解していない。
例えば、日本の会社では当たり前のことが外資系ではなされない、という批判。

怠慢ではない。
実態はできないということ。
外資はなんでもかんでも契約を根拠とする、のではなく、外資は自らをプロテクトするために契約が必要になる。

弱みを強調してどうする。
強みを活かし、弱みは工夫でカバーすればいい。
否定したり、指導しようとする態度が、そもそも間違っている。


実践論

PMBOK

ビジネスにおけるコミュニケーションについて、PMBOKから以下を引用する。
The sender is responsible for making the information clear, unambiguous, and complete so that the receiver can receive it correctly. The receiver is responsible for making sure that the information is received in its entirely and understood correctly.

気配り

確かに言った。
ここに書いてある。
どうしてそうなるの?

相手に何かを伝える際、こちらの意図が伝わっておらず後になって慌てる。
こんな場面はありがちだが、相手が勘違いをしたのは全面的に相手に落ち度があるからか?

相手もプロだ。
でも新人かもしれない。

相手は経験者だ。
だが思い込みや頭が固くなっていることもあり得る。

相手に誠意がある限り、送り手の努力も必要だ。
相手が誤解するような情報を伝えたのであれば、その表現が悪かったのかもしれない。

これを気配りとは言わないかもしれないが、主張するだけでは成り立たないものがある。
問われるのは結果だ。

このようなミスはだれもが経験することだ。
そこから自分の表現を変えていかなければ成長はない。

誠意

誠意。
敬意も同じように必須。

それがないとどうなるか?
それを持っている相手方が苦労する。
つまり、甚だ不公平だ。

誠意や敬意は状況によって変わる場合もある。
耐力に劣り変化した場合がそれだ。

そもそも敬意とはお互いの立場を尊重するところにあるわけだから、何か困難があったとしても先に敬意を払わなくなった方が未熟だ。
最初はうまくいっているようでいても、うわべの敬意では底が知れている。

誠実であることが仕事人の基本的必要事項であるならば、誠実でない者と仕事をすることは苦痛以外のなにものでもない。
ビジネスは信頼がなければ大きくならない。

挨拶

普段の挨拶。

仕事は挨拶に始まる、と誰か偉い人が言っていたのを聞いたことのある人や、そう思っている人はたくさんいると思う。
しかし、あるいは、そのとおり、挨拶をしない人はいる、しかも意識的に。

挨拶されると先に挨拶しなかったことを恐縮に感じる人もいる。
そういう人は、挨拶をしない人の気がしれない。
ただ、挨拶しないからと言って仕事ができないというわけではなく、専門性や経験値が高くてむしろ仕事ができると思われている人の場合も多い。

しかし、よく見ると彼らがまったく挨拶をしないわけではない。
自分から仕事を持ちかける場合は挨拶をしているし、しかるべき場所ではしっかりと挨拶ができる。

単に彼らの性格によるもので挨拶が面倒だからなのかもしれない。
挨拶しても得にならないので、挨拶を返す動機がわいてこないだけなのかもしれない。

そうだとしても、ビジネスの日常においてこのような態度をとることは、鈍感といわざるを得ない。
一方的、利己的、自己都合とも解釈されてしまう。

面白み

心の通わない仕事は面白くないし、不満も募る。
心の通わないコミュニケーションは事務的で面白みがない。

そんな状況では思っていても言わなくなり、我慢してストレスを溜め込み、反発心や猜疑心でものごとを観察するようになる。
あるいは無関心と身勝手がその場を支配する。
コミュニケーションは形式的で表面的となり、面倒からやがておざなりとなる。

コミュニケーションをしたくないのにしなければならないという環境において、閉塞感、被害者意識、ひずみ、恨みつらみなどの負の情念が芽生え、妄想が広がる。
それは、個において、あるいはグループにおいて閉鎖的な意識を形成する。

勝手な想像や思い違い、勘違いが無秩序に氾濫し、不信感が増幅され、疑心暗鬼から更なる疑念を抱くという疑念スパイラルに陥る場合もある。

想像力

相手の力量がわからない状況でのコミュニケーションでは、相手のレベルをある程度仮定して相手と話をすることになる。
一般には、ハイレベル、もしくはローレベルのどちらかを想定し、会話の中で徐々に修正していく。

一方、相手のことを考慮せず、事務的に自分のペースで話を続けるのは、自分の仕事を果たしさえすれば良しとする考え方の表れといえる。
それ以上巻き込まれたくないために、受動的な態度にもなる。
しかし、それがビジネスであれば、既にその時点で巻き込まれているというのが多くの場合は実状だ。

日本人同士でも初見は困難を伴うが、まして相手がビジネスカルチャーの異なる外国人であれば更に難しくなる。
ビジネスなので、相手をそれなりのレベルとみなして会話を進める。
ここで相手の立場や状況を尊重する配慮がないと、トラブルになる。

別の世界に住んでいる相手に対し、相手が同じ知識や情報を持っていると勝手に仮定して相手を尊重しない態度は、ビジネスの阻害要因になる。

相手に情報を与え、知識を補佐し、相手の立場を尊重しない限り継続的な発展は望めない。
そもそもそれが仕事というものだ。

ビジネスマインドの前に、意欲と想像力を欠いている。
それは日本人、外国人という枠の話ではない。

Ref.外資系のサラ忍マン/コミュニケーションの罠

安易

事実を自分の裁量や解釈において都合の良いように要約する。
仲間へ批判が向かないように気を配る一方、仲間でない相手をおとしめる。
より容易な方向付けにしようとする意識が働く。

そんな状況にどっぷりと浸かってしまっていては、ものごとを斜めに見ることが普通になってしまう。
自分の解釈だけでものごとを進めると、誤解を招くだけでなくしわ寄せがどこかに出る。

プラスアルファマイナスベータでは、事実そのものの解釈に誤りが生じ、混乱とその回復に対し多大な労力を要する。

情報伝達

共通認識、コンセンサス。
各レベルのステークホルダーにタイムリーに情報が伝わっているか。

意思決定の速度は明らかに組織の大きさに反比例する。
それを改善しようと様々な試みが行われるが、係わる人数が多ければ多いほど速度は遅くなるというのが道理。

本来、時間をかける理由の一つは情報の質を高めることにある。
それをすべての情報に対して適用するところに無理があるのだが、情報の信頼性の検証を厳密に行うという意味では、すべての情報に同じ検証方法を適用するしかない。

情報が現実の「もの」を発信源としている以上、すべての情報を伝達することはできない。
情報は、各人が持っている認識の多寡により異なる解釈を導く。

インターフェースにおける停滞と変質のリスク。
多くの人を経ることによる重複と分散。
秩序が失われたときに引き起こされる複雑化と混乱。

如何に情報を整理するかという概念と手法。
透明化と持続性。

情報の目的が伝達にある以上、人が介在するという事実。
目的からの乖離こそがコミュニケーションの問題の根源にある。

eメール

しゃべるようにメールを書く人がいるが、メールは会話以外の通信手段と同様に一方的なものだ。

独りよがりになってはいけない。
相手に伝えなければならないのに、相手の知らないことを伝えるという目的が果たせなければ意味がない。

メールは出す前に時間をかけたり、言葉を選んだり、見直したりもできる。
相手が誤解するような表現になっていないか?

最小限のルールを身に付ける。
手段として有効にする。

例えば、
ToとCCの区別。
誰にでもToで送らない。
CCでも読む。

返信で異なる内容に触れない、タイトルが意味をなさなくなり、後から検索できない。

案件ごとにフォルダーで管理する。

未処理の場合は読んだ後で未読に設定する、など。

業務文書が書面からメールへ移行するのに伴い管理の手法も当然のこととして変化してきた。
履歴やデータベースとしての活用を意識しなければ、どんどん早くなっていく業務スピードに追いつくことができず、結果、少ない量の仕事を時間をかけてやる、という状況に追い込まれる。

必要な時に必要な情報をいかに速やかに用意できるか。
これからの仕事において一層それが重要になってくる。

情報の行き違い

同じ第三者に対して別の人間が別のこと伝えるのは最悪。
タイムラグが理由にしても、しかるべき人間がしかるべきタイミングでオフィシャルに情報を伝達する。

情報の管理は、管理の必要性を周知するところから始めなければならない場合もある。

遠慮

遠慮しながら実務を進める原因の一つは、各メンバーが共通の情報を持っていないことにある。
プロジェクトマネージメントの観点から言うと、何らかの組織(それがタスクフォースであれ、マトリックスであれ)の個々のメンバーが組織における自分自身の役割を十分に認識していないこと(あるいは認識しようとしない、明確でない、制限がある、知らない、よしとしない)が根本的な原因となってくる。

これは、個人の問題というよりも全体の問題として考えた方がいい。
各個人が実務において経験を積んでそれぞれレベルアップしない限り、解決の糸口が見出せないような種類の話だ。

このような場合にプロジェクトを遂行するためには、コミュニケーション不足が発生することを幾分前提として、関係者がお互いにサポートしながらカバーするような対処が必要となってくる。

思い込み

関係者との間で仕事がスムーズに進まない状況がある場合、その原因は立場の違いに起因する相互不理解、かみ合わない文化、相容れない信条、等々あると思うが、その背景には一方的な思い込みによって生じた誤解があったりする。
であれば、一方的に思い込まないで、誤解を除外するように心がければいい。

一度生じてしまった誤解や不理解は、だからといって放置していいということはない。
相手側に非や責めがあるとしも、仕事の上で障害となるのであれば、何らかの対策が必要になる。


禁句

ぐっとこらえるべき。
反面、この言葉が相手の成長を促す場合もある。

言ったでしょ!

あるいは、何でやってないの!

あの、クエスチョンマークではなくビックリマークがつく言い方。

後悔先に立たず。

言った当人は相手に自分の不満を伝えてスッキリする。
自分の責任ではないという意思表示。
好意的にとれば、相手の改善を促すという意味があるのかもしれない。

一方的な避難になる場合もある。
言われた方からすれば、事実であるから罪悪感を感じている。

困難を共に歩んでいる相手に言ってはいけない。
建設的でない。

ぐっとこらえ、前を向いて協力すれば、相手は自然と応えてくれる。

ところで、後悔の念は感情なのでどうしようもない。
悔やんでも仕方がないので、反省して前に進む。