小説 満員電車の詩(うた)


人生で最も多く繰り返されるルーティーンは、朝起きてからの一連の行動に違いない。朝、ベッドから出てトイレに行きテレビを見てシャワーを浴びて着替えて会社へ行く。それを決まった時間に決まった手順で、そして決まったテンポで何も考えずに日々繰り返す。人生で最も従順で規則正しい習慣。誰もが自発的にその仕組みを作り上げ、体へ刻みこませ馴染ませていく。際限なくおとずれる目覚めの憂鬱から人を解放し、その日を仕事への日常へと導くために。


いつものようにリビングへ移動し、テレビをつけ、座椅子にもたれかかってしばしまどろむ。眠りを経ることで初期化された脳細胞が再稼働へ移行する前の、ひとときの時空。気を張り詰めてばかりの日中の反動があるからだろうか、既成の束縛から解放されたような、この時間はささやかな自由を感じさせてくれる。目をつぶった状態で耳をテレビへと傾ける。
テレビからはニュースやら天気予報やら、その日の情報が次々と発信されてくる。軽やかな男性アナの語り口、心地よい女性アナの声音、やさしいリズムの音楽。それらが拡散しながら一体となって部屋の中の空気を振動させ、ふわふわと移ろいゆく精神は収束しながら肉体へと引き戻されていく。ときに面白そうな話題やスポーツの枠になると、目を開けて映像を確認する。そうしていると、体内時計と呼応しながら頭がだんだんと日常の活動へと目覚めていく。
(。。。しかし、まちかど情報室はいいこと教えてくれるなー。。。)
時間はすぐに過ぎていき、気が付くと同じ話題を再び耳にする。
(。。。お、さて、そろそろ起き上がるか。)

新しい一日が今日も始まる。

運河沿いに品川駅へ向かって歩いて行く道すがら、様々な雑念が妄想とともに頭の中を駆け巡る。何も考えなくても考えても時間は過ぎるのだから、何も考えないで単に歩き続けるということは時間の無駄のように思えてならない。かといって、歩きながら考えてもアイデアがまとまるのはまれだ。道々に変化する景色、音、風、温度、人、それらが体の中を通り抜けるたびにアイデアがふらふらする。駅へ向けていつもと同じようにひたすら歩く。この辺りはまだ人通りも少ない。
運河と海岸通りが交差する場所に、最近、新しい建物が完成した。運河に架かる橋に近づくと、この辺りには似つかわしくないモダンな外装が姿を表す。運河側の五階にはテラスが設けられていて、ガラス越しに華美な雰囲気の漂う内装が確認できる。
ビルの前まで来ると、立派に装飾されたエントランスに「農林中央金庫 研修センター」の表札が誇らしげに掲げられている。十四階建てのビルの五階までが研修に使用され、その上はホテルになっているようだ。
その場所に元々あった建物の解体が始まったときから何が建つのかと気になっていたのだが、出来上がったのは、その古めかしい名前に違和感を覚えるような立派な建物だった。いまどきホテル常設の「研修センター」を新設する企業があるとは。
(農協関係か。)口に出さずにつぶやく。
農協を束ねる機関の一つにJN協同組合連合会という組織がある。いわゆるJN。最近、仕事で関係する機会があった。このつかみどころのない巨大組織と資金面で連携しているのが農林中央金庫だ。元々は農業等の一次産業を推進するために設立された機関なのだが、今では国内最大級の機関投資家と言った方が的を射ているようだ。旧体制を引き継ぐ独占的地位により吸い上げた巨大マネーをベースに国内のみならず国際金融界においてその名を轟かす、といったところか。
建物の前を通り過ぎ、「カラスの鳴く公園」を横切ると、品川駅港南口の巨大ビル群が目の前に開けてくる。反対側から流れ出てくる人の数はまだまばらだ。それでも、巨大ビル群のオフィスに吸収しきれずこぼれ落ちてくるかのように、ぽろぽろとこちらへ人が歩いてくる。対流する人の流れは、長いものは、そのまだずっと先にある天王洲アイルのオフィス街まで続く。
流れに逆行するように隘路を抜けビル街へと踏み入る。反対側から対向してくる人の密度はまだ細い。しかし、すでに大動脈の活動の気配を十分に感じ取ることができる。支流の長い直線を遡りながら、何度もすれ違ったハズなのに決して覚えることのできない対向者の顔に目をやりつつ、品川駅港南口へと至る。
大量の人、人、人。今まさに満員電車で揺られながら運ばれてきた人たち。品川駅の改札口から、大量に、息のつく間もなく放出されるビジネスマン。大河となり連絡路を港南口へと下る。
人間大河。立て板に水のごとく人が流れてくる。重力なのか、慣性が作用しているのか、個々に、無言で、それでいて集団が意思をもっているかのごとく整然と移動する。そして、迷いなく、速度を緩めることもなく同じ調子で支流へと分かれていく。
止めどなく流れるその軍勢を目の当たりにすると、世の中に本当にこれだけの人を受け入れる仕事があるのかと率直に驚く。同時に、自分がいかにちっぽけな存在であるのかと寂しくなる。
新卒で入社した前の会社で百人いる部署に配属されたとき、早く百分の一の仕事ができるようにと意気込んだものだが、百分の一以上の仕事ができるようになっても、これだけやって人並みであるのなら人はなんて過酷な社会を生きているのかと、嘆かわしい気持ちになったことがある。
サラリーマンとして、ネオ企業戦士として従順に会社へ奉仕する人々。サラリーマン生成システムとでも言ったらいいだろうか。日本の会社、特に伝統的な会社は非常に高度に整備されたサラリーマン育成プログラムを備え、当然のごとくそれを運用する。新卒の学生は疑いもせずにそのシステムによって染め上げられていく。
南下する人々を横目に見ながら中央改札へ向かう。行軍の足音と駅のアナウンスが混ざり合いながら連絡路の巨大チューブにこだまし、人々の頭上へ呪文のように降り注ぐ。思考を麻痺させ戦士として目覚めさせる一つの儀式を潜り抜けるような、自覚しているのだろう、誰も歩みを乱すことはない。
混雑をすり抜け、後方の車両に乗り、満員電車に揺られる。新鮮味のない景色を目で流しながらやるせない気持ちが心に湧いてくる。せんろはつづくよどこまでも。今日も線路の幅が狭い。


「このベンツは高そうですね。」
我々の会社にはベンツで通勤する社員がいる。それもベンツの最上級モデルだ。しかも、元々ベンツの最上級クラスに乗っていたのを、モデルチェンジしたのに合わせて買い換えたらしい。
「SSクラスだよ。」
小西さんが教えてくれた。
クラスを言われても、全く身近に感じられないような車のことなどよく知らない。しかし、見た目で十分に威厳を感じさせる立派な車なので、自分も「さすがですね。」と妙な感想を抱いてしまう。
奥まった会社の建物の前が駐車場になっていて、車の所有者が会社にいるときには大抵そこにベンツが止まっていた。もう慣れてしまったが、その風格を目の当たりにするにつれ、世の中の、階級ともいえるような格差にやるせない気持ちを抱いてしまう。自動車、特に乗用車は実用である以上にステータスを表している。だからそれを所有する人間の「違い」を連想せずにいられない。
実は、小西さんもベンツに乗っていて、今日は車で会社に来ていた。車で来る日は会社が終わってからバスケの同好会へ参加するらしい。
「俺のはCクラスだけどね。」
二つのベンツが駐車場に並んでいると、みんなから「小ベンツ」、「大ベンツ」と区別して呼ばれる。
「それでもベンツに違いないじゃないですか。」
比較されること自体が不幸だ。
現代人として、車という乗り物を否定するつもりはない。自動車産業は日本の経済発展において重要な役割を担ってきたし、これからも担っていくだろう。しかし、人間という観点からいえば、車という乗り物は人間のエゴの器に違いない。人の落ち度や欠点を指摘したがる人たちでさえ、便利で快適な乗り物に対しては何も文句を言わない。人は、人類史上経験したことのないスピードと最上の機械美に魅了されるのと同時に、すぐに死ぬことができる、また、人を殺すことのできる危険な道具を手に入れた。自動車による死傷者数は、だれが何をいっても、それでも自動車を受け入れる我々人類への烙印だ。

「うちの会社ってそんなに給料よかったっけ?」
話に入ってきたのは我が部長の本郷さんだ。
「取締役だからもらってんじゃないの。我社の花形部門のトップだしね。」
「僕には想像つかないな。でも、実家が金持ちなんでしょ?ゴルフの会員権もいっぱい持っているそうだし、ゴルフによく行っているし。」
高級ベンツの所有者の名は、吉沢さん。社内に二人いる取締役の一人だ。吉沢さん、小西さん、本郷さんは、三人ともゴルフをする。といっても、本郷さんは会社のコンペに出るぐらいでそれほど盛んにやっているわけではないらしい。
「んー。確かにいいところの会員権持っているよね。実家は地主だったかな。」
小西さんは吉沢さんと古くからの付き合いだ。
「僕が持っているところとは大違いですけど。」
小西さんも会員権を持っているが、バブル後期に買ってかなり値下がりしているらしい。しかも、会員なのになかなかゴルフの予約が取れないとか。
「吉沢さんとはよくゴルフに行くんですか?」
本郷さんが小西さんへ聞く。
「いや、一緒にしないでね。そんな余裕ないから。誘われもしないし。よく知らないけどゴルフ友達とかいるんじゃないの。一人でも行っていると思うけどね。」
「そうですか。やっぱりお金に余裕がある人は違いますね。」と本郷さん。
「でも、吉沢さんぐらいだよね、本社の外国人に対等に発言できるのは。だから実力を評価されて給料もいいんじゃないのかな。うちの会社ってそういうところがあるし。」と小西さん。
「確かに。逆に貰ってないとすると、日本人に対する評価が低すぎますよね。僕の給与も上げてもらいたいですけど。」と、僕から本郷さんに対してささやかなアピールをしてみる。
「みんなそう思っているよ。」本郷さんではなく小西さんが答えた。「でもいいよね、あそこの部署は。」続けて小西さんが心底羨ましそうにつぶやいた。
吉沢さんが統括するコンフェ部は、洋菓子などの、いわゆる嗜好品を製造する工場の機械や製造プロセスを取り扱っている。それに対し、小西さんのフィード部は、飼料関係の工場で使用される機械やそのプロセスの販売が中心だ。実際のところ、人間が好んで食べるものと、動物がエサとして食べるものの業界の違いは、外部の人間が想像する以上に大きい。
まず、労働環境や衛生性の点からいえば、飼料工場の中は匂いがきつくて汚い。利益にならないことに会社はお金をかけられないので、それが当然のこと、やむを得ないことと見なされている。工場の中が多少汚くても、鳥豚、牛や魚が文句を言う訳ではない。もちろん、彼らもまずければ食べないので、エサには必要な栄養分が含まれるだけでなく、食べやすいということが求められる。また、エサを食べて育った鳥豚、牛、魚たちは最終的に人間の口に入るわけだから、現在では安全性については必須となっている。昔は工場の中をカラスが飛んでいたり、人が入るとねずみに追いかけられたりしたそうだが。
一方、嗜好品を製造する工場の場合、直接人間の口へ入るものを作るのだから衛生の点で抜かりはない。だからきれいだ。正確に言うと、昔よりもずっときれいになった。今では食品の安全に対する意識がどこの会社でも高いので、製造環境は常に清潔に保たれている。そしてコンフェ部は、おいしいものを作るための機械を扱っているわけだから、人が料理作りに喜びを感じるのと同じように、工場に行くと自然とモチベーションも上がってくる。
その違いだけでも小西さんが吉沢さんを羨む理由になるが、ビジネスにおけるもっと深刻で大きな違いは、製品における付加価値の違いと、その結果としての会社を取り巻く環境にある。
嗜好品はいわゆるぜいたく品であり、食べなくても死にはしない。通常、消費者は余裕資金の範囲で嗜好品を購入するが、食べたいという欲求が強ければ多少お金を費やしてでも買う。だから魅力ある商品や競争力のある商品であれば買い手が付き、売る側は適正な利益を確保できる。経済情勢に影響されやすいものの、概してマーケットは安定している。というのは、人は常に豊かな社会を求め、豊かな社会は食の豊かさと共にあるからだ。
売る側は流行やマーケティングに敏感でなければならない。コンペティターとの競争を通じ、イノベーションや創意工夫に取り組む素地が自然と出来上がっている。つまり、マーケットと共に成長する環境が整っていて、世の中の変化を受け入れる余裕を持ち合わせている。
一方、小西さんが担当するエサ業界、エサは家畜や魚を育み、それはやがて人間の主食になるわけだから、食糧安全保障の点で基幹産業の上流に位置付けられる。安定供給の大義のもとに古くからの体質が維持されつつ、一方で、高度経済成長の終焉に連なる構造不況の波が業界へ押し寄せる中、統合や合理化が徐々に進められてきた。ボディーブローのようにダメージを蓄積しながら手さぐりでようやく持ちこたえてきたというようなところがある。最終的な消費者が鳥豚、牛、魚だけに、華やかさも必要ない。エサ代が農家の経営コストに占める割合は大きく、お客さんである農家からは常に安い値段を求められるのだが、個々の農家は家畜の肉質や卵の差別化を指向して飼料の製造に個別の要求をしてくる。結果、多品種を少量で作るような生産を余儀なくされ、高コスト低利益率の産業構造にならざるを得ない。どこかで聞いたことのあるような悪循環、歪な関係。飼料製造の最大の担い手がJNグループという事実が、いかんともしがたい現況を象徴している。

小西さんがその場を去った後、先ほどの会話で気になった点を本郷さんに聞いてみた。
「業績のいいビジネスユニットの営業だとやっぱり給料もいいんですか?」
我々の会社は、コンフェ部、フィード部の他にも様々なマーケットに渡って様々な産業機械を取り扱っていて、それぞれの部署はビジネスユニットと呼ばれる。
「基本的に営業は基本給が高いと思うけど、更にボーナスの割り増しがあるみたいだよ。話したことがあったかな、うちの会社で一番給料がいいと言われているのが営業で、次がエンジニアリング、最後がカスタマーサービスなんだよ。」
その話は以前聞いたことがある。ビジネスユニット各部とは別に、実務部隊として、エンジニアリング部、カスタマーサービス部という組織が会社の中にある。営業の担当者はビジネスユニットに属し、本郷さんと自分はエンジニアリング部に所属している。エンジニアリング部は、機械を客先へ納入するにあたって機械の仕様決めを行ったり、付帯設備を含めた生産プロセスの設計や生産ラインのプラントエンジニアリングを行っている。カスタマーサービス部は、機械の納入に当たっての据付や立ち上げ、納入後のメンテナンスやトラブルシューティングなどのアフターサービスを手掛ける部署だ。
以前は、ビジネスユニットごとに営業、エンジニアリング、カスタマーサービスの担当者が配属されていたが、二年程前に組織変更があり、ビジネスユニットは営業主体とし、エンジニアリングとカスタマーサービスのエンジニアをビジネスユニット横断でそれぞれ統合して、新しい部としてエンジニアリング部とカスタマーサービス部が発足したという経緯があった。ビジネスユニットに属していたエンジニアをより有効に活用し、縦割りの弊害をなくそうという趣旨が背景にある。もちろん、新しく発足したエンジニアリング部もカスタマーサービス部も、ともにビジネスユニットとの関連性が高いので、全体としてみればビジネスユニットを縦、エンジニアリング部とカスタマーサービス部を横とするマトリックスの組織構造となっている。この組織変更に際し、一部のビジネスユニットからすれば、今まで自由に使っていた兵隊を取られる形になったので、反感を抱いている人もいた。
「僕としては、機械メーカーとして最も重要なのは機械で、その次に重要なのがカスタマーサービスだと思っているから、カスタマーサービスはもっと評価されるべきだけどね。」
その話も聞いたことがある。しかし、社内の評価は別にしてカスタマーサービスに対する顧客からの評価は厳しい。
「でも、お客さんからは結構、不満の声を聞きますよね。僕が思うにこの問題の一因として、一部のサービスエンジニアが自分で優先順位を設定して、自分の得意分野以外の仕事に対して無頓着なところにあるような気がするんですが。」
「んーそうだね。マイペースの人がいるよね。古き良き時代の名残なのかな。昔はそれでもよかったから。でも、この問題の背景には、うちみたいな小さな組織で顧客の様々な要求に対してきめ細かく対応するにはどうしても限界があるという事情もあるんだよ。ほら、一人のエンジニアの担当する領域が広がったということもあるしね。」
「そうだとしても、責任感のある人に仕事が集中しすぎてフェアーじゃないような気がしますが。目の前に問題があるのにそれに対して無関心すぎるのではないでしょうか?北島さんはどのように考えているんでしょうか?」
北島さんというのはカスタマーサービス部の部長だ。本郷さんとは“ツーカーの仲”だ。
「否定はしないよ。でも、立場が変われば我々が知らない事情もあるだろうし。彼がおかれた難しい状況もわかるから無責任なことは言えないし。知ってのとおり、本社から売上増加の至上命令が出てるでしょ、カスタマーサービスはもっと儲かるはず、ってやつ。」
「グランドスラムですね。サービスのナンバーワンになるっていう。」
「問題は、カスタマーサービスの売上を毎年20%増加させて5年後に2倍にするっていうところだよな。発展途上国じゃないし。なんでそうなるのかなー、本社のグローバルな目標につきあわされちゃっている感じがするよ。」
「売上に直結しない保証対象とかの案件が後回しになりそうですね。」
「そうはならないと願っているけど、これって組織論の話でいうと、部分最適による利害不一致に絡む問題なんだよね。営業としては、カスタマーサービスに速やかな対応をしてもらわないと機械を売り込みにくいという事情があるし。」
本郷さんもこの話題には悩ましい思いを持っているみたいだ。話を戻して直接的に聞いてみた。
「話は戻りますが、営業の人はいくらぐらい貰ってるんですか?」
「んー僕が知っている範囲だと、かなりいい金額を貰っているね。但し残業がつかないから多めに設定されているらしいけどね。でも、エンジニアが残業して稼ぐよりも多くもらっているようだな。たまたま聞いた話だけど、伝説の山崎って知ってる?」
その話は知らない。
「サントリーですか?」ふざけて言ってみる。
「ハハハハ。昔、山崎さんという人がいてね、一年ぐらいで辞めた人なんだけど、採用した時は期待されていてね。佐久間さんも待ち望んだ営業の補充だったから期待しすぎてたんだろうなー。ここだけの話だけど、契約したときの年収が800万だったらしいよ。まだ三十初めだったけど。」
「え、そんなに貰えるものなんですか?」
「又聞きだからほんとかどうか知らないけど。入社時の交渉が巧みだったのかな。僕も驚いたよ。だって、仕事が全然できないんだから。佐久間さんも自分が採用を決めたんで嘆いていたよ。」
佐久間さんは化工材料機械部の部長で、吉沢さんと並んでもう一人の取締役でもある。本郷さんは、エンジニアリング部が発足する前は同じ化工材料機械部で佐久間さんの部下だった。
「カナダに二年住んでいて英語ができるはずだったんだけど、どうしちゃったのって感じで、本人いわく、使わなかったので忘れてしまいました、っていうんだからまいっちゃうよね。」
「でも面接時に英語の面談があってそこで評価されますよね?」
「そのときは不調だったということで乗り切ったみたい。他にも後日談があって、辞めてもらった後に履歴書の学歴詐称が発覚してね。たまたま分かったんだけど。だからカナダにいたという話も眉唾だよね。」
「えー。そんなことがあるんですか!」
学歴詐称とは穏やかではない。そんなことが実際にあるものなのか。
「普通に生活している人にはなかなか信じられない話だけどね。だから伝説になって語り継がれるわけだよ。でも、その人は学歴詐称で辞めたわけじゃなくて、期待したパフォーマンスを発揮できなかったから辞めてもらったらしいけどね。」
我々の会社は、スイスに本社をおく日本の現地法人だ。海外の工場で製作された産業機械を日本のお客さんへ売るのを主な生業としている。欧米の外資系はよくドライだと言われる。高いパフォーマンスを発揮すれば驚くような高待遇が得られる反面、期待にそぐわないと切られるのも早い。そのようなイメージが定着している。それは一面としてあるかもしれないが、表面的な解釈でもある。
「しかし、うちの会社は個性的な人が多いよね。最近は落ち着いたからそうでもないけど、僕が入社したときは正直驚いたよ。最初の頃は、日本の会社ではまともに勤められなくて辞めざるをえなくなった人達がこの会社に集まってきたに違いないって思ったよ。」
「ハハハ。」正直笑ってしまう。
「そのとき僕はなんて自分がまともなんだって思ったよ。変な人が多いから。」
「ボクも自分のことをかなりまともだと思っていますよ。」
「ハハハハハ」
個性的な人材。それが外資系の一つの特徴なのだろう。
「でも、うちの部は比較的におとなしい人が多いよね。以前はもっと個性の強い人がいたんだけど。」
本郷さんが少し懐かしくも物足りなさそうに話をする。
「それじゃー、米山さんに戻ってきてもらいましょうか。」
もちろん冗談だ。米山さんはエンジニアリング部が発足したときの最初の部長だが、本郷さんが彼に手を焼いていたことは知っている。
「あの人は戻ってこなくていいよ。」

しかし、入社してほとんどすべての人が中途採用だと聞いた時には、正直、新鮮な驚きを覚えた。そして、その雰囲気はすぐに感じとることができた。
新卒を取らないのは外資系の出先機関という側面によるところが大きい。外資系は、短中期的に成果を見極める傾向がある。進出する国のビジネス事情に詳しいわけではない。言葉や文化の壁を克服すること自体が、直接的あるいは間接的にコストとなる。人材の育成の負担は大きく、製品価格の増加につながる。育てた人材が会社を去るリスクもある。時間に余裕はない。だから、社員を採用するにあたって仕事が出来るということが前提条件となる。
ただ、出来る人を取る、という建前だが、実は社内教育は驚くほど手厚い。会社が人材の重要性に重きを置いているという雰囲気をひしひしと感じる。しかし、その教育思想はヨーロッパ的な社会システムに高度に結びついているようだ。彼らの社会では、個人レベルにおいて責任に対する自覚が強い。自らが自らの責任で教育を受けるという姿勢が当たり前になっている。日本の社会のように、教育をしてあげる、というような雰囲気ではない。価値観として身についているものの違いだ。自らが競争に勝ち抜くために、自らがレベルを高めなければならないという考え方が基本になっている。それを会社や社会が支援する。
我々は、外国人の積極性に驚きながら、日本人はシャイだからしょうがないと簡単に納得してしまうことがよくある。その一方で、日本人は外国人のようにもっと積極的にならないといけない、と指摘されることもある。どちらも、正しいようであって正しくない。このような行き違いを生じさせる背景にあるのが、本来、我々にはあずかり知らぬヨーロッパの合理性でありコミットメントの文化だ。自分がそのことを発見できたのは、入社以来外国人との関係にそれなりに苦労を重ねてきたおかげであるが、ほとんどの日本人はそんなことを意識しさえしないだろう。
外資系の企業に勤めていると、まず、社内のまとまりのなさ、秩序のなさ、あるいは方向感のなさに、「何か足りないもの」を感じるだろう。結果に対しドライ、相手を理解しようとしない、反省しない、改善への対応が遅い、協調性がない、泥をかぶる番頭役がいない。これらは、我々日本人社員が感じる外資のいくつかの特徴だが、実は、それらすべてに共通する背景が一つある。それは、コミットメントにおける、受ける側の責任の重さに対する認識が欧米と我々とで異なっているという点だ。彼らの考えからすれば、人にコミットした点、つまり指示した時点が責任分界点となりうる。
だから、欧米の視点から言えば、我々の考えは甘い、ということになる。大げさに言うと、それで生きていけるのか、ということにもなる。しかし、それは彼らの解釈であって、実際に彼らが我々の立場を理解しているわけではない。
彼らの社会では、上司が部下を逐一モニタリングし、教育指導しながら是正していく、などというシステムは、それが目的でない限り日常の業務の現場にはない。外資系の会社の中の日本人がそのような期待をしていたとしても、あるいは期待するものだが、文字通り期待外れに終わってしまって現実が大きく変わることはないだろう。なぜかというと、外国人上司からの指示や指令に対するフォローアップのシステムやそのための余裕が、我々の組織、つまり彼らの組織、に本質的に備わっていないからだ。

「ところで、吉沢さんから少し前に依頼があった案件は順調?」
「大きな問題はないと思います。僕の方で手配する部品が少しありますが。工事のほうは、ほとんどコンフェ部と業者さんで計画が出来上がっていましたので。現場も、カスタマーサービスからベテランのサービスマンが行くようですし。」
「そうか。進展があったら教えて。それじゃー。」

大きなプロジェクトであればそれなりの体制で何人ものエンジニアがかかりっきりになるが、我々の会社ではそんな規模の仕事が多くあるわけではない。普段はシングルマシーンと呼ばれる単体機械の仕様固めとその周辺機器や工事の設計が我々プロジェクトエンジニアの主な業務となる。一人のエンジニアが何件もの仕事を抱え、みんな忙しくしていた。我々の仕事は基本的に定時に終わることはない。ルーティーンの仕事ではないし、残業によって全体の負荷を調整するというのが普通だったからだ。この業界ではそれが当たり前だ。自分も就職してからはずっとそのような働き方をしてきたし、周りの人達も同様だった。仕事柄、顧客やサプライヤーの多くの会社の人達と接する機会があったが、概して我々のようにビジネスの中間に属するエンジニアという職種は、労働時間が他よりも長くなる傾向があるようだ。出来て当たり前、やって当たり前の世界。結果を伴わなければ、単にマイナス評価となる。
気がつくと20時を回っている。切りがいいので今日はこのあたりにしておこう。

一日の仕事の終わり、帰り道、ストリートミュージックの癒しにそっと耳を傾ける。小雨がぱらぱらと落ちてきた。高層ビルを見上げれば夜の闇。ぢっと空を見る。
人が溢れる駅前、タクシーの列、バスを待つ行列。ここには想像しようのない数の人がいるのに、自分の知り合いは一人もいない。普段親しくしている人はみんな、この理不尽とも思える世界で一生懸命生きている。ここにいる人たちもそうなんだろう。子供の頃は周りにこんなに人はいなかった。誰に何を言ったかを覚えていた。成長するにつれ、人の数は増えてきた。そして、薄くなってきた。自分とその他大勢の人、自分の世界と同じように、その他大勢の人も自分の世界を持っている。今、ここですれ違い行き交う人は、自分とは違う景色を見ているのだろう。
田舎から上京してきてもう十五年になる。都会はとにかく時間の流れが濃くて速い。人が集まることによって発生するエネルギーの強さと内在するポテンシャルの高さがそうさせるのだろう。そこでの生活を日常にするために、その世界に我が身を委ね、自らのポテンシャルを高めることに努め、経験を積み重ねながら自分の足場を一つずつ築いてきた。しかし、都会の生活の中に感じる違和感のようなものがなくなることはなかった。そこには、馴染むべきではない、染まるべきではない、慣れるべきではない、と主張する自分がいる。


「じゃーいいかな。状況を整理しときたいから向こうで話そうか。」
本郷さんの要件は、これまで本郷さんが担当していたプロジェクトの残件処理を、自分にハンドオーバーしたいということだった。フロアーの中央に備え付けられた会議机へ移動する。
基本設計から一年半に及ぶプロジェクトは、去年の十二月に一応の完工を見た。我々としても初めての試みの多いプロジェクトであり、決してスマートにプロジェクトを遂行できたわけではなかったものの、至らない点を是正しながら無事にお客さんへ納入することができ、性能に関しても期待通りの能力を発揮することを証明した。お客さんからも理解と協力を得、我々としても納得のいくプロジェクトであったのだが。。。
このプロジェクトはグレイン部の仕事で、スイス本社、日本、それに中国それぞれの現地法人、そしてそれぞれのサブコントラクターが協力してプロジェクトを遂行するインターナショナルな案件だった。本郷さんは日本側の主担当として参画し、自分も折に触れプロジェクトを手伝ったのでその苦難を知っている。苦労をする分、そのプロジェクトに対する思い入れは強くなる。しかし、プロジェクトが終わればその後は日常に戻る。それは分かっている。お客さんの思いというのは我々の思いとは別のところにある。
三ヶ月前、プロジェクトを推進した顧客担当者が定年により退職した。年齢的には既に定年を迎えていたが、新規設備導入に際し主導的役割を担っていたために退職を先延ばししていたようだ。プロジェクトの完了を見届けての退職であった。その少し前に、機械導入を最終決断した社長が、やはり定年で会社を去っていた。彼らが社内のトップワンとツーであったが、その二人が入れ替わると、お客さんの雰囲気はずいぶんと様変わりしてしまった。
「近藤さんが辞めちゃってから技術的な話ができなくなっちゃったからまいるよ。」
本郷さんがいつものようにぼやく。
「この前、木下さんに言われちゃったよ、何かトラブルがあって製造が止まったら、その分、損害賠償してもらいますからねー、だって。」
木下さんは、近藤さんの後任としてナンバーツーへ昇進した取締役だ。
引渡し前の残件がまだ残っていて、その対応がなかなか進まないことへの不満が背景にあるのは承知している。もちろん、トラブルが発生したら速やかに対応して復旧に努めることが我々としての責務だ。ただ、責任負担が顧客へ移行している段階で、お客さんが何でもかんでも文句を言ってくるという状況は予想外だった。契約条項として、間接損害に対する賠償を我々として負わないことが明記されているが、多分、そんな話をしても難癖付けてくるだろう。
「そのために予備品の購入をお願いしているのに、そっちの話は一向に進まない。その話を向けると、笑ってごまかされたよ。今、検討中だって言っていたけど、何を検討したいのか。」
「備えなくて憂いなし、という感じですね。何かが起こってから対応することしか考えていないのでしょうけど、何か起こったら絶対に文句を言われますよね。」
「大抵のお客さんは分かってくれるんだけど、電子機器の初期不良とかも考えられるからさ。最近の産業機械は高機能になっている分、電子機器が多く使われる傾向にあるけど、昔のヘビーデューティーの機械のイメージなんだよね。それに使われている計装品が海外製だというだけで文句を言われちゃうし。ちゃんとしたメーカーの製品で実績もあるのに。印象だけで一方的に言いたいことを言われて協議にならないのがつらいね。」
「お客さんというか、個人の考えだと思いますけどね。メーカーだからメーカーが予備品を準備しておくのが当たり前で、顧客のトラブル時にはメーカーが対応するのが当然という考えなんでしょうね。」
顧客が購入したのは産業機械であり、例えば自動車のようなコモディティではない。産業人というよりも、むしろ一般消費者の視点で発想している気がする。
いささか暗雲が垂れこめてきた。前任者の引退の影響が大きいが、会社としての体質という側面もあるのだろう。現場を知らない人間が偉くなり、事情を理解しないままに横やりを入れる。しかも、報告を受けるトップが輪をかけて現場を知らないため、歯止めがきかないばかりか余計にエスカレートするような言動に及んでくる。
「松下さんには申し訳ないけど、僕はもう木下さんと話さないことにしたから。話が通じないから。」
松下さんはグレイン部の営業部長で、このプロジェクトを担当している立場から木下取締役との窓口でもある。本郷さんらしい発言だが、その反動が巡り巡って自分に回ってくるのだろうか。
「営業はだから大変ですね。」
とりあえず、話を合わせておく。
「今回納入した機械は業界で注目されているからね。お客さんの心証を悪くするわけにはいかないから、特にね。同業のお客さんの見学とか、お願いするわけだし。」
「その辺り、暗に「協力」を求められるわけですか。」
「そういう訳でもないと思うけどね。とにかく、彼の理屈では、問題が出た時点でメーカーの対応が不十分ということらしいよ。」
「先が思いやられますね。」
「それじゃー、現状の残件を整理しておこうか。まず、近接スイッチの故障の件、原因はほぼ雨水の侵入による動作不良だと思われるけど、お客さんからの強い要望で日本製に交換という方向で対応することになりました。」
結局そうなるか。本郷さんも自分もやるせなさを感じているのは同じだ。そのあたりを察したのか、ふと本郷さんがつぶやいた。
「JN解体しかないかなー。」
「ぜひ解体しましょう。」
もちろん冗談だが、この会話は初めてではない。このお客さんは株式会社の形を取っているが、JNグループが大株主になっている。
「本当は、このお客さんが我々の機械をちゃんと評価してくれて、親会社のJNさんにアピールしてくれるのを期待しているんだけどね。トップが替わってからあまりいい感じじゃないよ。」
社長はJNグループからの天下りで、三年ほど勤めると入れ替わる。
「築き上げたはずのいい関係が跡形もなくなってしまって、更に悪評が立ちそうな雰囲気ですね。でも、そのうち、今の社長が会社の問題点に気づいて改善を行ってくれることは期待できませんか?」
「実はこの前、お客さんを招いて東京でグレイン部のセミナーがあったときに社長がいらっしゃってね。色々と勉強している途中だということをおっしゃっていたよ。」
「期待できるじゃないですか。」
「期待はしてるけどね。でも、どうも文句を言いたくて参加していたようなんだよ。当然、うちのセミナーなんでうちの機械のいいところを紹介する内容になるんだけど、セミナーの最後の質疑応答のところで手を上げて、「優れている点がたくさんあるようですが、不十分な点があることも、お集まりの皆さんに知っておいてもらいたい。」って発言があってね。これまでのトラブルやなんやかやで、松下さんに公開説明を求めるような場面になっちゃって。」
「はー、それは強烈ですね。セミナーで文句を言うなんて話は聞いたことがないですけど。それに、トラブルにしても、取り立ててアナウンスしなければいけないような話ではないですよね。みんな素人じゃないんだから。」
「主旨としては、業界で注目されていたプロジェクトでもあったんで、「発言しないとすべてに満足していると誤解されて、他のお客さんがおたくの機械を買った後に同じようなトラブルに見舞われたとき、知らされていなかったということになったら申し訳ない。」ということらしいんだけど。まー、他のお客さんもびっくりしたと思うよ。もともとこの業界の人ではないにしても、感覚の違いが大きくて想定外過ぎるよね。」
「ほぼ営業妨害のような感じですね。前任の社長や近藤さんは我々の機械を評価してくれて業界関係者にも好意的にアピールしてくれていたと思うんですが。」
「前任の社長もJNグループ出身だったけど、近藤さんがいたからバランスがとれていたよね。今は、偏った情報しか耳に入ってこないんだろうな。」
「一体、どんな風に社長に報告されているか不安ですね。ちょっと嫌ですねー。」
「ただ、社長とはその後のパーティーで少し話したけど、社長自身はうちの会社を悪く思っているというようなわけではなく、後で自分の会社がトラブルに巻き込まれるのを避けたいという強い思いがあったようだよ。良く言えば、使命感というか、責任感からの発言といえるのかもね。」
「そうですか。そういうところをきちっとしておくことが重要な会社なんでしょうね。」
彼らにとっては利権を守ることが最も重要なのだろう。大きな組織はいずれも忠誠心で支えられている。組織力という枠組みの中で、知っていることを繰り返すことが常道なのかもしれない。既定路線から外れることは暴挙であり、予期せぬことはきっとトラブルなのだ。
帰属する集団の世界観が尊重されるのは必須なのかもしれないが、外から見ると存外に偏って見えることが内側からは見えてこないということも多い。ミクロでは皆善人だ。小世界では決して悪い人でなくても、大組織に染まってしまうと、横暴と思えるような言動も彼らの論理からは正当なのだろう。
「そういえば、出入りの業者さんが言ってたけど、お歳暮を手違いで送り忘れたんだって。そしたら、木下さんへあいさつに行ったときに、「お宅からお歳暮が届いていませんけど」って言われたらしい。あそこの会社は相当な数のお歳暮をもらっているはずだから、業者さんは、「よくチェックしてるなー」って逆に感心してたけどね。」
「その場面、想像できますね。ところでうちは送りました?」
「送ってないだろうね!」

清らかな水の流れ、はだしで触れる柔らかな泥の感触、きれいな黄緑色にそろったまっすぐな苗、整備された水田、はるかに広がる労働の跡、平安、アメンボ、フナ、カブトエビ、カエルの大合唱、カエルの卵、オタマジャクシ、大地の恵み、成長、風に揺れる稲穂、実り、コンバインの響き、稲わらの天日干し、稲わらの基地、稲茎の剣、夕闇に乱舞するコウモリ。。。子供のころ、実家の周りにあったそんな風景が今では寂しくも懐かしい。
しょうがないのかそうでないのか、何でこうなったのか。その存在意義を理解できるはずもない少年時代、「兼業農家」、「減反」という言葉の中途半端な響きに、大人たちのご都合主義を、子供心に肌で感じたものだった。高度経済成長はずっと前に終わりを告げていた。農業政策とは何だったのだろう。農業を守る、のではなかったのか。大票田の農家と理想主義。政治と組織の思惑が一致した内向きの国策にすぎなかったのだろうか。士農工商の嘘と民主主義の歪。どの時点かで本来の意図は失われてしまっていたのに、形骸化したシステムは維持され続け、構造的弱者と潜在的弱者を大量に発生させてしまった。同時にその政策は、内向きの理想を身にまとった衛兵たちを世に送り続けることにもなった。
皮肉にも、人は救済されることで大義の本質から遠ざかり、考える力を失い、小世界は閉じられようとする。そして、それを促進させたのが、豊かさを追い求め、豊かさを手に入れた日本人そのものだった。事なかれの規制は過去の思考の延長による産物であり、もはや遺物でもある。豊かさを手に入れた後の未来について語られたものではなかった。

「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。」
突然、特徴のある独特の笑い声がフロアーに響き渡った。声の主は分かっている。フロアーは長手方向にかなり広い構造になっているが、彼の笑い声は端と端にいてもよく聞こえる。ちょうどそのときはフロアーの中ほどにいたので、普段は聞こえても無視している彼の笑い声に対し、今回はさすがに反応して顔を上げてしまった。
「びっくりしちゃったよ。なんでこんなに給料すくねーんだって。」
「申し訳ありません。」
恐縮して謝っているのは経理の福田さんだ。普段は一階下のフロアーにいて、この階で見かけるのは珍しい。
(びっくりしたのはこっちだよ。それになんで福田さんに謝らせてんだよ!)
福田さんは僕にとってアイドル的存在だ。遠目でも綺麗な人なのだが、派手なところがなく、質素なのにファッションセンスがいい。穏やかでつつましくあり気配りがきくので、男性陣だけでなく同性からの評判もいい。入社してからまだ一年弱ぐらいだったが、彼女のような素敵な女性がこの会社に入社してきたのはある意味奇跡に違いない。
「ひゃひゃひゃひゃひゃ」
標準の音域を外れた大きな笑い声がまた響く。彼は、「一唾一千万」と異名をとる清家さんだ。
(福田さんに唾かかってねーだろーなー!)
「一唾一千万」とは妙なネーミングだが、唾を飛ばしながらお客さんとネゴをして契約に結び付けるその手腕については、みんな感嘆せざるを得ないところだ。つまり、彼の一唾は一千万を生み出すらしい。
「おりゃー、小池じゃねっつーの。」
事の騒動については、清家さんが自分で面白おかしく周りに話し出したのですぐに分かった。福田さんが給与明細を配っていたところ、間違って別の人のものを渡してしまい、名前を確認せずに清家さんが開けてしまったらしい。給与明細は普段はそれぞれのビジネスユニットの秘書が配っているが、今日は福田さんが配っていたようだ。
「清家さんを知らなかったじゃー、言い訳できないね。」と本郷さんがポツリとささやく。
「なんでおめーが配ってんの。」
清家さんが大きな声で無遠慮に問いかけた。
「秘書の方がお休みだということで、吉沢部長から依頼がありましたので。」
福田さんはずっと申し訳なさそうにしている。
「あっそー。まー、気を付けてね。」
そっけなく答える清家さん。吉沢部長の名前を聞いたためか、もう関心がなさそうだ。そもそも、言葉遣いが悪いが、清家さんは怒っていたわけでもなく、非難したり、問い詰めていたわけでもない。彼は普通に会話するとそういう感じになるのだ。かわいそうなのは福田さんだ。清家さんへの免疫ができていないと、普通の人は彼の言動が理解できないから彼女も戸惑っているに違いない。「清家さんはこういう人だから気にする必要はないよ。」と、後で優しく声をかけてあげよう。。。
「福田さん。」
事の顛末を見守りながらそんな風に考えていると、福田さんを呼ぶ声がした。騒動のあった場所と会議机を挟んで反対側の方だ。反射的に振り向くと、福田さんに向かって吉沢部長が静かに手招きしている。吉沢部長も様子を見守っていたらしい。福田さんもすぐに気づいたらしく、窓際の角にある吉沢部長の座席に向かって、ややうつむきながら移動していく。
(怒られるのだろうか?いや、注意はされるだろうが、、、)
気になったが、離れ過ぎていて話の内容は聞こえそうにない。本郷さんとの打ち合わせも途中だ。
「清家さんは相変わらずマイペースだね。」と本郷さん。
「確か同期でしたよね。」
「この会社に入ったのは彼のほうがずっと前だよ。同い年だけどね。」
「ある意味、彼はすでに伝説ですね。生ける伝説。「伝説の清家」。」
「ハハハハハ。言えてるね。」


「しかし、北島さん、バックオフィスの方に不満が堆積してきているような感じですが大丈夫ですか?」
大丈夫だとは思わないが聞いてみた。
「何か問題があった?」
「ハハハハハ。」
もちろん、北島さんの冗談だ、と思ったら、
「いやマジで何か新しい問題がでた?」
「あ、いや、そういう訳じゃないですけど。」
「じゃーいいか。」
「ハハハハハ。」
やっぱり冗談だ。バックオフィスというのはカスタマーサービスに係わる事務関係を処理する部隊のことだ。見積書や注文書、請求書などの書類作成の他にも、機械部品の管理や交換部品の特定、顧客対応など業務は多岐に渡っている。
「まー、言いたいことは分かるけど、どうにかなるような話なら、すでに、どうにかなっているんじゃないの。」
確かに、現実認識の点では異論はない。
「何かいい案はありませんか?」
「とにかく今の仕事量をこなすには人を入れないとダメだと思うんだけど、人を増やせる状況じゃないし。人を入れ替えるにも人がいないしね。何かいい案ない?」
背景には、ベテラン社員の引退や、社内業務システムの変更に伴い本社で行っていた作業が日本へ移管されたというような事情があった。
「抜本的に組織を変えるしかないと思いますけど。中のことはよくわかりませんが、今のバックオフィスは外から見て非常に労働環境がよくないですよね。」
「それは社長や人事からも言われてて、みんなにも相談しているんだけど、一筋縄でいかない人たちがいっぱいいるからな。」
「はっきり言って、雰囲気が悪いし行き詰っている感がありありですよね。」
「はっきり言うね。」
「でも、なんで現場や機械を知らない女性が半分以上いるんですか?いくら事務仕事が主体でも、部品の特定に時間がかかりすぎているのが忙しさの一因ですよね?」
「そのほうがいいと思ったんだよ。オレらサービスマンと違って女性の方が細かいこととか事務的なことが得意だから。事務処理の効率を上げろというのも本社からの指示なんだよ。まー、結果的にオレの責任なんだけどね。でも、感情的な問題にこじれちゃったのは失敗だったな。」
「一部に険悪そうな雰囲気もありますよね。」
「みんな凄くやってくれるのは確かなんだけど、オレのせいでかけがえのない時間を仕事に割かれてプライベートまで犠牲なってるらしいんだよな。そこまで働いてくれとは言ってないんだけど。」
「それは確かに深刻な状況ですね。何とかして下さいということなんでしょうけど。」
散々、偉そうなことを言わせてもらっているが、それは一緒に仕事をしたことがあり、お互いを良く知っている間柄だからだ。北島さんが、仕事に直接かかわりのないこと、このような問題に巻き込まれるのは本意ではない、と思っているのもよくわかる。
「本郷さんも言っていたと思いますが、僕の方で手伝えることであれば仕事を振っていただいても大丈夫ですから。まだ何とか余裕がありますので。」
「それは正直ありがたいよ。とにかく、仕事に専念できる環境にしないとな。気を使ってばかりいると疲れちゃうから。」
「そうですね。人間関係だけに難しいですけどね。」
「この恨み一生忘れませんから、みたいな。」
「僕も結構、恨まれているかもしれませんけどね。」
「間違いないよ。」
「しかし、うちの女性陣は働き過ぎですよね。確かにプライベートが心配ですよ。北島さん、何とかして下さいよ。」
「まー、何とかしたいけど、オレは奥さんいるからな。河野もいい歳だろ。何とか頼むわ。」
「いや、それを振られても。ボクの手に負える人たちではないでしょう。」
話が外れてしまったが、我々の会社には結婚しなさそうな雰囲気の女性が結構いる。
「俺にも責任の一端はあるのかもしれないけど、他部署を含めてこの会社には結婚していない女性社員が結構いるよな。周りにいっぱいいるから、お互いに安心しちゃってるのかなー。」
「しかも、彼女たちの平均年齢がどんどん高くなっていますよね。」
「翔子とかアヤとかどうなの?年齢的にも河野だとちょうどいいんじゃないの?」
「翔子さんとアヤさんは盛んに合コンとかやっているようですけど、うまくいっていないようですね。」
「何で結婚できないんだろーなー、いい女なのに。気立てもいいし、はっきりして分かりやすい性格だし。オレは好きだなー。」
「お互いにけん制し合っているという話もあるみたいですよ。」
「英語が喋れるのがネックになるのかもな。普通の男だったら英語が話せないじゃない。だから、彼女の方が英語がペラペラだと引いてしまうのかもしれないな。実際、そういう話を聞いたことがあるよ。一緒に海外旅行に行ったら男の方が頼りなく見えちゃうから、男としてはメンツもあるしね。」
彼女たちは秘書なので英語が堪能だ。
「いわゆる草食系男子が多いんですかね。」
「で、河野はどうなの?」
「二人ともボクとは合わないでしょう。ボクはやっぱり福田さんですね。正直、この会社にいるのが不思議なぐらい素敵な子ですよね。芸能界にいても通用するでしょう。」
「まー、綺麗な子だね。」
「もちろん、それだけじゃなくて、性格がいいですよ。というか、雰囲気とか、間違いありませんね。」
「何でそこまで確信があるの?」
「それは、ぼくもそれなりに人を見る目がありますから。」
「そうか。話したことあるの?」
「そりゃもちろん。経理にいる同僚を通じて少しずつ接近していますから。」
「でもあの子はやめといた方がいいんじゃないの。あれだけ綺麗だと絶対、男いるでしょ。」
「僕が入手した情報によれば、浮いた話はありませんね。逆に、このままだと行き遅れないか心配になるぐらいですよ。まじめそうだし。ほら、うちの会社って、プレッシャーを感じさせる雰囲気がないから、あせらなくていいじゃないですか。」
「オレは、河野には合わないと思うなー。だいたい社内の女性じゃなくてもいいだろー。」
「でも、出会いというのは大切にしないといけないですよね。」
実は、敢えて言わないが、それなりに婚活はしている。翔子さんやアヤさんとは、一時期、一緒に合コンをやっていた時期もあった。田舎にいる親の設定で何度か見合いをしたこともある。昨今の晩婚化は女性だけの話ではない。自分もいい歳だ。
「まー、そこまでいうのであればしかたないけど。うちの会社は社内婚も多いからな。」
「らしいですね。」
「吉沢さんとこだってそうだろ。奥さんは元社長秘書だったけど、仕事の出来る人だったなー。大分前に結婚して辞めたけどね。」
「僕が思うに最悪なのは、外国人に日本の美を持っていかれることですね。日本の美の海外流出ですから。うちの会社でも、奥さんが日本人の外国人が結構いますよね。」
「悪いことをしているわけじゃないけどな。でも確かに、美の国内流入はあまり聞かないよな。日本の女性は海外の女性に比べて辛抱強いから、外国人の男性からすれば、特に好印象を持たれるらしいよ。」
「その点でも、福田さんは外国人からも好かれそーだから、ボクも頑張らないといけないですね。」
「じゃー頑張って。」


国際的な尺度で測られる豊かさにおいて評価が劣っていても、経済の豊かさは強さの源であり、自信であり、活力であった。少し前の日本は確かに強かった。
問題は、栄枯盛衰のごとく転換点が訪れることにある。第一次産業は過大とも思える規制や補助金がなければ立ちいかない。第二次産業はかつての勢いをなくし、従業員だけでなく生産設備の高齢化が進む。諸行無常の響きあり。優秀だから生き残れるのではなく、変化に対応できるから生き残る。構造問題にさらされ長い時間をかけて少しずつでも考えざるを得なかった多くの人にとっては、過去の強さは古き良き思い出であり、今の困難は今の世代が対峙すべき問題だということらしい。
一方で、保守的な社会や人間にとっては、伝統を受け継ぎ、成果を出し、その中で勝ち抜いてきたという自負から、旧来のシステムの延長や回帰にこそ、今の閉塞感を打破する解決策があると考える向きもある。時代は保守と革新のせめぎあいにより展開するのだから、どちらが何を主張しようとそれはお互いの勝手なのかもしれない。しかし、そのような議論も、既得に執着したいがための、あるいは、旧時代に束縛されての主張にすぎないのであれば、これから来る新しい時代のためにはならない。未来が何も語らないことをいいことに、過去と現在が好き勝手に言い争っているようなものだ。

「とにかく、正式な注文を頂いていないので、本社の方が実務作業に入るのを保留している状況なんですよ。」
外資は契約書に執着し、そこで事細かに規定するからやりにくい、という話も聞くが、それは一つの誤解を含んでいる。外資は契約にうるさいわけではなく、契約により自身を保護しているにすぎない。不特定の海外の企業と契約するのが外資のビジネスである以上、余計なリスクは排除する必要がある。顧客の方にもそのあたりの外資の事情を察してくれる人が多くなってきているが、まだ担当者レベルでかなり差がある。
「外資だからそういうことがあるのでしょうけど、納期はもうずらせませんからね。何とか作業を進めてくださいよ。」
「最初の予定であれば、この時期にはすでに契約が為されているハズじゃないですか。だから現時点で契約もされていないし、頭金も貰っていないということで、本社の方でも話が大きくなってきているんですよね。」
「契約が遅れているのはこちらでお願いした資料や情報をタイムリーに出してもらえなかったことが一因としてありますよね。」
「それに関しては前にご説明したとおり、通常用意しない書類を本社に頼まないといけないわけで、本社の連中にすれば、この段階でなんでそんなに要求してくるのかっていう話になるわけなんですよ。」
「そこを調整するのが日本法人の仕事じゃないんですか。顧客からしたらそんなことは言い訳になりませんよ。」
これもグレイン部の仕事だが、お客さんの客層には保守的な会社が多い。型式ばった書類や説明用の書類を細々と作らなければならない。そのおかげで本来やるべき仕事にしわ寄せが出てしまっている状況もあるのだが、そこはぐっと飲み込む。
「そこは我々も誠意をもって対応させてもらっていますが、現時点で遅れが出ているのは御社の社内事情によるところが大きいと聞いていますけど。」
「いやー、正直、私もこれほど社内処理に時間がかかるとは思っていませんでした。今回のケースはいつもと違っていて、関係部署が事業所間にまたがっているのでそれぞれで稟議が必要になってくるんですよね。だからこれほどまで時間がかかっているわけですよ。」
「でも、稟議の際に何か仕様が変わるような要請があったとしても、我々としてはもう対応する余裕はありませんよ。これ以上、下げられないところで契約金額が決まっているわけですから。」
「それはないと思います。質問をさせてもらったり、改めて資料を用意してもらったりすることはあるかもしれませんが、それは上役に理解してもらうためであって、上役が具体的な内容について指図することは通常ありませんから。」
稟議は日本独特の決済方式だ。背景に合議制、言い換えるとコンセンサス文化の精神がある。何か始めるにあたってその起案書を社内の関係者に回覧し、関係者全ての合意を得る仕組みになっている。合意形成に時間を要すが、各専門分野が幅広く審査することで企画内容のリスクを軽減し、最初から完成度の高い内容に仕上げることができる。また、文書の形で書類が残るので、責任や前後関係が後からでも分かりやすい。決定後は関係者の協力の元に速やかに業務を遂行することができるという利点もある。稟議の制度は官庁では普通であるが、民間の大企業でも古くから採用されてきた仕組みだ。
当然、このような稟議の仕組みは、本社の外国人には理解できない話だ。彼らからすれば、決断までにとにかく時間がかかり過ぎると感じる。
「何とか本社と交渉してみますが、今から話が流れることはありませんよね?」
「取締役会では承認されていて予算も確保されている案件だから、今から取りやめになったり他の会社に行くということは99%ないです。」
「一番いいのは、内示を頂ければありがたいのですが。そうすれば、なんとか社内を納得させることもできそうなんですがね。」
「内示もね、原則的には当社ではそういうお約束ができないことになっているんですよ。でも、社内の例外規定で何とかなるかもしれませんから、何とかならないか検討はしてみます。」
「ありがとうございます。しかし、御社も、これからどんどん国際展開していくという方針だと聞いていますが、意思決定に時間がかかり過ぎていませんか?外国の会社はもっと素早いですよ。」
良く知っている担当者なので本音が出る。
「社長に言ってみましょうか。私の首が飛んじゃうと思いますが。」
「ハハハハハ。」

伝統的な合議制には、誰もリスクを取りたがらないという弊害が内在する。後で変更すべき事案が生じたとしても、事なかれ的に対処しようとし、取引業者へ問題を押し付けようとするケースさえ出てくる。
大きな会社の社員は、その規模の力や技術的な優位性を背景に、概して、すべからく自信過剰になり上から目線になる傾向がある。言葉は丁寧でも、態度や言動に現れる。自覚もなくそれが当然だと錯覚している人たちもいて、手慣れてくるほどに厄介だ。
彼らの多くは、自らの標準を踏襲させ、自らのコンセプトや考えを実現させることが、サプライヤーや下請会社の仕事であるかのような振る舞いをみせるときがある。大きな会社は総じて歴史のある会社が多いが、伝統的な企業文化は諸刃の剣であり浮世離れにつながる恐れもある。
我々産業人は今、一つのジレンマを抱えている。日本のユーザーは、特異で細やかな仕様、多様性、上質さを欲する。かつては、これらの要求に答えることこそが成功の条件であるとして特殊仕様の機械やプロセスを作り上げてきた。しかし、国内の消費が縮小し、輸入製品の比率が増えてくる中、今求められているのは外的変化への対応と国際的な競争力だ。国内のマーケットだけで生きてこられた会社も、庇護がなくなれば次は我が身となる。競争を勝ち抜くには、コアコンピテンスの差別化こそがカギとなる。自前主義の束縛からの解放とグローバル規模での自社技術の洗練。改善に頼りすぎるのではなく革新を生み出せる体質。産業人として、新たな時代にどのような戦略で対処するのか。そこに日本の方向性が試されている。
しかし、未だ多くの人達は、自分が携わる仕事の必要性を維持するために、あるいはその仕事を正当化するために、多くの不合理に手を染めている。しかも、半ば無意識に。かつて差別化の手段として開発力や技術力を競ってきたその手法自体が、体のいい言い訳か都合のいい隠れ蓑になっている。
アンタッチャブル。こだわりが技術を磨き、技術が品質を高め、品質が良ければ売れる。それが成功への道だった。しかし、それだけではだめだということが、多くの実例で証明されている。気がつけば敗者。見えるムダと見えないムダ。必要なムダとイノベーション。適切な指標とその制御に誤れば社会は衰退する。
外資系で働くことで見えてくることがある。小世界を拡張するための最も有効な方法の一つは、外資系の会社に勤めてへこたれないで頑張ることだ。刺激を受け、吸収し、考える。好む好まざるに係わらず、外国を理解しないといい仕事はできない。
日本は大きな国だ。だから独自のマーケットがあり独自の商品が流通する。大きいため、これほど国際的に活動しているにもかかわらず、海外からは内向きとよく言われる。実は、国際的に活動しているのはほんの一部分にすぎない。モノの流れで言うと最初と最後の部分で、ほとんどの人の活動は国内で完結している。だから、英語がしゃべれなくてもいい。強力な商社という形態の存在が、その実態を象徴している。国際部門がなければ日本は成り立たないが、一見、国内で商売が成り立っているように見える。
内向きのままこれまでは経済がどうにか成り立ってきた、というのが実状だ。海外諸国との関係なくして日本は立ち行かない。なのに、それは自分たちの仕事ではないとばかりに自らの利得を主張する人たちを目にすると、将来のことがますます不安になってくる。


「分からないところがあったらどんどん聞いてよ。その方がこちらも安心できるから。」
「ありがとうございます。今のところクリティカルな問題は出ていませんし、前回と同じ手順なので大きなサプライズはないと思います。」
実際にやっかいな問題は出ていないし、前回の実績があるので吉沢さんに直接相談するほどの話は今のところない。むしろ、細かいことを尋ねて煩わせるのが申し訳ないので、直接声を掛けることに気兼ねしてしまう。
現地法人には違いないが、この会社で日本人が若くして取締役に昇進するのは前例がないらしい。そういうこともあって一目置かれている存在だが、本人はいたって気さくな人だった。最初は神経質なところがあるのかなと感じたが、それは気遣いの裏返しだったようだ。
若いころにスイス本社へ長期出張し、機械やプロセスの他、経営に係る知識や技術について専門教育を受けてきていた。だから、本社の実務のやり方に精通している上、広範囲に人的なつながりを持っている。
スイス人は、仕事上において担当同士であっても、会ったことがない人にはそっけない。しかし、一度顔を合わせると、人が変わったように対応が良くなったりする。つまり、人を見るようなところがある。それもどうかと思ったりするが、事実として、人的ネットワークを持っていれば、この会社では仕事が格段にやりやすくなる。
日本では、以前ならば松下さんの所属するグレイン部が伝統的に強かったが、今ではコンフェ部が花形部門だ。社内の他の部署に比べて比較的高い利益率を確保しながら、売上についても最も大きな比重を占めるまでになってきている。高性能の機械という強みを活かしながら順調に業績を伸ばしてきた背景には、日本での事業強化を託され、それを推進してきた吉沢さんの貢献が大きい。
これまでの経験や実績から本社の人間にも信頼されているので、その発言は尊重を持って受け止められる。周りの日本人からも頼られる。本社への発言力は、社内での発言力にもつながる。実力があり、実績を積み重ね、文字通りエリートコースを邁進する。
裕福な家の出、恵まれた才能、獲得した地位と名誉。高級マンションに住み、高級ベンツに乗る。スポーツマンであり、ゴルフの腕前はシングル。広い玄関にはゴルフバックが並んでいるそうだ。元秘書の美人の奥さんは今は別の会社に勤めているが、快活な人柄で仕事も出来るらしい。お似合いのカップルなのだろう。ときどき、会社関係で集まるときに奥さんも出席することがあるようで、吉沢さんの方が、美人で出来る奥さんを貰ったことを今でもうらやましがられているらしい。人生の成功者とは彼のことなのだろうと、ぼんやりと思ったりもする。同じ時間軸上にいながら、兵隊アリの我々とは、育った環境や住む場所、見てきた景色や経験、知り合いや交流、つまり、住む世界が違っているのかもしれない。
「それから、エンジニアリングのこととか、今日はよろしくね。オレもその辺り整理しときたいから。」
「はい。どこまでお役にたてるかわかりませんが、こちらこそお願いします。」
その日は、吉沢さんが主宰している隔週の勉強会へゲストで呼ばれていた。勉強会といってもブレインストーミング的な会議で、その時点のトピックについて情報を共有しながら自由闊達に本音で話し合うというのが趣旨だった。コンフェ部の若手メンバーが中心に参加していたが、参加自体はオープンになっていて、内容によって他部門からの参加があった。あまり人数が多いと会の趣旨に反するので、参加人数は多くても10人程度に絞っていたようだ。
今回、自分が呼ばれたのは、営業とエンジニアリングの関係について当社はどうあるべきかという話題について取り上げたいということだった。本郷さんではなく自分に声がかかったのは、会議を堅苦しくしたくないということと、米山さんの一件があったからだろう。つまり、米山さんがエンジ部からグレイン部の営業へ移動した後、そこで相変わらず持論を展開していたのだが、そのことで他部にも余波が広がって社内が少し動揺していた。その収拾のため、同じ業界出身でありながら別の考えを持つ自分からも話を聞いてみたいと思ったのだろう。勉強会に参加するのは初めてだったが、準備はしないで気楽に参加するのが条件だった。参加者の顔ぶれは大体分かっていたし、みんな知っている人たちだったので、その意味でも気楽だった。

(福田さんも参加してたんだ。)
あまり小難しい話をすると、福田さんに小難しい男と思われるかもしれない、あるいは、仕事について熱く語る男ということで、好感度を上げられるかもしれないな、などと考えているうちに、会議が始まった。
「まず、エンジニアリングを生業とする会社は、その経歴により三つに分類できます。エンドユーザーのエンジニアリング部門が発展し、他社へエンジニアリングサービスの提供を始めたもの。メーカーが単品機械からプロセス機器を取り扱うようになり、総合的なエンジニアリング業務へ展開して行ったもの。そして、元々はユーザーもしくはメーカーに由来するものの、早くから独立してエンジニアリング専業として発展してきたもの。重要なのは、それぞれで仕事の重心が異なってくるということです。」
米山さんの件を意識しながら、また、専門でない人たちに分かり易く伝わるよう、まず、我々の仕事が何かということから話を始めた。先の分類でいえば、我々は、もちろん二番目の分類に属する。機械、プロセス、オペレーションに根差したエンジニアリングを提供することが、メーカーから展開してきた会社にとっての持ち味となる。米山さんや自分が以前に勤めていたプラントエンジニアリング会社は三番目の分類だ。
「いわゆるプラントエンジニアリング会社とメーカーから展開してきた我々のような会社との間には決定的な違いがあります。成り立ちからの違いは、メーカーであること。組織的な違いはプロセスオリエンテッドであること。そして、最大の違いは対象となるプラントの規模が小さいことです。」
伝わったかどうかは別にして、言いたかったのは、次のようなことだ。
我々の会社においては、プロジェクトのマネージメントもエンジニアリングのマネージメントも、その手法は当然の帰結としてプラント業界とは異なってくる。プロセスかファンクションかというような専門的な議論でいえば、プロセスしかあり得ない。我々は、自社で製造する機械についての専門性が高く、機械が使用されるプロセスラインについて深い知見を有する。そして、プロセスパフォーマンスを製造ラインとしていかに最大化できるかを知っている。それが付加価値となり、顧客の利益となり、会社の存在意義となる。そこにこそ競合相手や一般のエンジニアリング会社と差別化できる理由がある。特定の分野に特化した能力、特にその競争力の源となる機械やプロセスの強さ、その強さを活かす体制が要となってくる。
高度なプロジェクト管理手法を小さなプロジェクトに適用するのは効率の点で後れを取ることになる。米山さんのやり方で嫌われるのは、必要性があるとは思えないような書類を形式的に大量に作成しようとする点だ。顧客に対し、「我が社もそれなりにプロジェクト管理ができます。」ということを訴えたいというのが背景にあるらしい。まず、本社がその必要性を理解できないわけだから、本社の協力が得られない。結果、日本人社員に過剰な負荷を強いることになる。それでは、ムダばかりで効率が悪すぎる。

「色々と貴重な話をありがとう。米山さんが変なことを言い始めたからさー、俺もあれはまずいと思ってるんだよねー。それから組織についてだけど、今の話だと、エンジニアを社内で横方向に括って一つの組織にするよりも、コンフェ部という一つのプロセスでまとめる方が効率はいいということだよな。カスタマーサービスも含めて。」
吉沢さんからすれば、持論に賛同するように聞こえたのかもしれない。
「専門性の点ではそうですが、現実的にはリソースの点で融通性がなくなります。会社レベルで全体最適を考えると、今のように、ビジネスユニット横断的にエンジニアをプールする方が効率はいいと、会社は考えているんだと思います。」
「融通性と言っても、例えばコンフェ部の担当者が他の部で忙しいと仕事を頼めなくなっちゃうわけだよねー。縦割りの批判があるのは承知しているけど、ビジネスユニットにしてみれば対応速度や対応能力に影響が出てくる話だから、簡単には納得できないよな。」
「もちろん、エンジニアリング的にはそれぞれのビジネスユニットに深化しないといい仕事はできないと思います。エンジニアリング部としては、その辺りは配慮して、各人がコアなビジネスユニットを持つようにしています。それと同時に、他の部署のサポートに回れるように、出来るところから経験を積んでいくというような風にして、徐々に新しい形へ移行していこうという戦略ですね。」
「河野さんの言いたいことは分かるよ。ただ、俺もせっかくコンフェ部として人材を育成したのに、その投資が回収できないで他の部へ持ってかれちゃうからさー。まー、それはまだいいんだけど、俺としてはさー、個人的なつながりをよくして関係者間の連携を速やかにしたいわけよ。それは、特に工事対応やアフターセールスに係る話だけどね。」
「おっしゃる通りだと思います。」
「とにかく俺としては、外国人に頼らない組織にしたいわけよ。外国人のスーパーバイザーを呼ぶとろくなことがないからさー。でも、そのためにはもっと専門性や連携を深めないといけないのに、今の組織だとその意図に逆行するわけよ。」
機械の組み立てや試運転で外国人を呼んだ場合のトラブルは自分も経験したことがある。トラブルの多くはビジネス文化の違いやコミュニケーションに基づくものだが、それだけに改善が容易ではない。ただ、問題があったとしても、今の我々のキャパシティだと本社に頼らざるをえないのでは。
「本社のような一貫体制ですね。でも、それって、」
「日本は本社と比べて組織が小さいから無理があるのは分かるよ。でも、俺は、日本でのビジネスはもっと拡大すると思ってんだよな。そのためにはローカリゼーションを進めて機動力を高める必要があるわけで、コンフェ部としての一貫性を確立したいわけよ。」
吉沢さんの考えは本社一辺倒というわけではない。ただ、本社はその影響化に現地法人を置いて常にコントロールしたいと思っているはずだ。出先機関の日本にそこまで権限を委譲してくれるものだろうか。
「しかし、ローカリゼーションを進めることに本社が同意するでしょうか?」
「日本人だけでやればいいというわけじゃないよ。コンピテンシーは本社が持っているわけだから。重要なのは、お客さんの前面にいる我々日本人が仕事を主導すべきだということと、その実力を身につけることなんだよ。そして外国人のコンピテンシーを如何に有効に活用できるかがポイントになるんだ。グローバルな競争で重要なのは、実はローカリゼーションをいかにうまく進められるかということなんだよ。外資系の会社でそこをないがしろにしちゃうと弱点をさらけ出すようなものだから。少なくとも今のままだとまずいよね。社内のばらばら感と社員のモチベーションの低下がそれを物語っているでしょ。」
「それは僕も感じますが。でも同時に思うのは、我々は日本のコンペティターと同じように仕事をしようとしてもできませんよね、製造部門を管理するのが本社である以上。例えば納入品の手違いや納期管理なんかは日本の会社と比べると見劣りするのはある意味宿命ですよね。事情の分からないお客さんは常に日本の会社と比べようとしますから、どうしても矢面に立つ日本人社員が文句を言われるじゃないですか。」
「板挟みになっちゃうよね。お客さんと本社の。そこはロジカルに考えないといけない。出来ることとできないことがあるのは事実なんだから。事前の予防は必要だけど、起こってしまったことはお金が掛かっても速やかな対応を心掛ける。つまるところ如何にお客さんをフォローできるかだよね。我々の長所は最後の最後まで責任を持つことだから、何とか理解してもらって、引き渡し前の最終製品の品質を評価してもらうしかないと思うよ。」
実務遂行者としては、忍耐を持って自分たちの最終的な責任を全うすることが自分たちの務めなんだろう。この問題に絶対の解などない。ただ、その実状を部門の責任者が理解してくれているというのは心強い。話の流れから、今抱えている問題についても聞いてみた。
「でも、古い体質のお客さんの中には日本的な仕事のやり方を押し付けようとする会社があったりしますよね。最近ではグレイン部のプロジェクトでありましたけど。」
「あー、実際のところそれは確かにやっかいだね。伝統という名の慣習にしがみついて変化を受け入れようとしない人たちがお客さんの中にまだまだ大勢いるんだよなー。そういう考え方は会社の不利益につながることを正しく認識してもらいたいものだけど。お客様は神様というけど、これからの時代、企業間は対等であるべきだとオレは強く思っているんだ。それが、日本の産業の競争力を高めるカギと思っているから。でも、現実問題としてどうにもならないことは当然あるよね。オレの場合は、そういう古い考えの人とはやんわりと距離を置くようにしているよ。」
色々と話を聞いていると、吉沢さんも、自分と同じように外国人との間でかなり苦労をしてきたらしい。グローバル社会における会社の現状、ひいては日本の現状に危惧を抱いている点についても大いに共感することができた。将来を見据え、会社や環境、世の中を変えていかなければならない、という信念。それは理想にすぎず実現はできないと思っていたが、吉沢さんがやりたいと思っているのであれば、やれるのかもしれない。

「今日は語っちゃったけど、語り過ぎちゃったかなー?」
引き続いて居酒屋で飲み会となったが、うまく福田さんの隣の席に座ることができた。期待通りでラッキーと思ったが、雰囲気的には、ゲストへの褒美として、席を用意してくれたような感じだった。チャンスをくれたのかもしれない。周りが騒がしく、二人の間での会話がやっとだったことが幸いし隣同士で話していても文句を言われそうにない。
「お話の全部を理解できたわけじゃないですけど、日本だけじゃなくて、本社のこととか、大変参考になりました。皆さん、当然でしょうけど、グローバルな視点で考えてらっしゃるんですね。」
「そーですね。僕の場合は、仕事でやむを得ないという事情もあるけど、やっぱり、グローバルを意識しないと逆に日本について語れない時代だと思うので、そういう視点は持ってますよ。」
「さすがですね。そういう考え方とかも、参考になります。」
「ほんとですか。そんなこと言われると、ますます調子に乗っちゃいますよ。」
「ほんとですよ。他の部の人達とお話しするだけでも刺激になるのに、今日は貴重なご意見をうかがえたと思っています。」
「いやー、僕もこの会社に入って色々と勉強させてもらってますから。まー、苦労した分、それなりに考える力が付いたと思います。あ、すみません、苦労したアピールになっちゃってますね。」
「いえいえ。私も、まだまだ勉強しないといけないのだなって本当に思います。」
「何でも聞いてくださいよ。僕は、結構この会社について知っていますよ。というのは、僕はいろんなビジネスユニットのお手伝いをしていますから。自分で言うのもなんですが、僕ほど会社の隅々まで知っている人はいないかもしれませんよ。」
「そうですねー。実は、会社のみなさんとお話しする機会がなかなかなくて、どの部署に誰がいらっしゃるのかもまだ完全に頭の中に入っていないんですよ。だから、組織がどうなっているかとか、誰が何をしているかとか、お聞きしてもいいですか?」
「もちろん。僕は、その辺りも結構得意ですよ。」
「じゃー、興味本位もあるのですが、例えば、吉沢さんって、若いのに取締役じゃないですか。でも、そう言うのって、日本の会社では、出る杭は打たれるって言われますけど、その辺りはどうなのでしょうか?」
「敵を作らないかと言えば、微妙だなー。我々の会社は基本的には日本の会社だから。実際に他のビジネスユニットの人から羨望というか、やっかみというか、そういった話は聞いたことがあるよ。ベンツに乗っているし。」
「へー。」
「まー、そんなのは世の中に良くある話だけどね。僕的には、吉沢さんにはどんどん頑張っていただきたいと思っていますよ。特に、外国人に頼らない体質を作りたいという点は賛同できるね。」
「そうですか。でも、今日のお話の中で組織に対する考え方とかは、吉沢さんと河野さんとでは微妙にずれていると感じましたけど。」
「鋭いですね。でも、僕は、吉沢さんの考え方をとても評価していますよ、吉沢さんだから、ということかもしれないけど。経験値や視野の広さ、目配りとか。話し方は乱暴だけど、言っていることは芯をついていると思うし。僕が言うのはおこがましいですが。」
「色々な考え方があるということなのでしょうね。私は争い事が嫌いなので、平和的に会社が良くなっていくといいのですが。楽観的すぎるでしょうか?」
「今後社内でちょっとした騒動はあるかもしれませんね。吉沢さんの発言は重みがあるから。積極性や行動力もあるし。でも、大丈夫だと思います。とにかく、売り上げが上がれば、誰も文句言いませんから。僕も、将来性のことを考えると吉沢さんに付いていきたいぐらいですよ。」
「そうですね、じゃーそのときは私もついていきます。」
「ハハハハハ。」
「あと、清家さんってどういう人なのでしょうか?」
「あー、彼について語り始めると、話が今日中には終わらないですよ。いいですか?」
その後は、仕事の話などはそこそこにして身近な話題や旅行の話題などで会話が弾んだ。思いがけず急接近となり興奮冷めやらずといった感であったが、飲み会は意外と早く終わった。吉沢さん本人が、あまり飲み会とかで騒ぐ方ではない。愛妻家なので特段の用がなければ早く帰ることにしているのかもしれない。そんな理由があったのだろう、そこでお開きとなった。福田さんにそれとなく声を掛けてみたが、その日はもともと早く帰らないといけない用があったらしい。せめて駅までは一緒にと期待したが、バスを使った方が早いのか店を出たところでお別れとなった。
それでも、帰路、久しぶりにさわやかだった。酔っていたせいもあり、自分にもようやく幸運が訪れそうな、そんな気分にもなっていた。しかし、あせらない方がいいだろう、せっかくいい雰囲気をつくれたのだから。


その日の天気はよく思い出せないが、普段通りの青空だったと思う。少なくとも、普段通りに会社は始まった。出社し、席に座り、パソコンの電源を入れる。机の上には、前日からの仕掛の書類が広げられている。デリケートな仕事が残っていたので少し憂鬱だった。相手側の担当者と直接話をして解決策を探らないといけない。感情的にならずに建設的な話ができるだろうか。そんなことを思いながらその日の仕事の配分を考えていた。
九時過ぎ、佐久間さんが吉沢さんの机に静かに歩み寄る。
「ちょっとここでは話せない大事な話があるから、一緒に会議室に来てくれる?」
二人が下の階へ降りて行って十分ぐらいたった後、今度は高橋さんをつれて三人で戻ってきた。高橋さんはITの担当者だ。吉沢さんは他の二人が見守る中、自分の荷物を拾い上げ、佐久間さんとともにその場から立ち去る。その間、会話は何もない。時刻はまだ九時半少し前だった。そしてそれが、吉沢さんが会社で見かけられた最後の姿となった。
以上は、後から聞いた話だ。フロアの反対側だったので、そんなやり取りがあったことには全く気付かなかった。ただ、その出来事があった後に自分に起こった出来事は、まさに非日常であった。パソコンに向かいながらメールのチェックをしていると、本郷さんがやってきて話があるという。しかも、下の会議室で。一緒に下の階の会議室へ移動する。途中、何も言わないので何も聞かなかった。状況から察して何かやばいことが起こっている雰囲気だ。何か失敗をやらかしたか?考えられるとすればあのお客さんか?自然と緊張する。
会議テーブルを挟んで対面に座ると、本郷さんが重そうに、しかし落ち着いた口調で話し始めた。
「コンフェ部の例の機械の工事だけど、どんな内容の工事になるの?」
予想していなかった話だ。
「基本的には、機械の据付けですが、架台やプラットフォームの製作と据付が含まれています。」
「難しい工事ではないんだよね?」
「とにかく重量がある機械なので、そこがポイントになりますけど、鳥元工業さんも、鳥元工業さんが使う重量トビも同じ機械を据付けた経験がありますから、問題はないと考えていますが。」
「問題はないと考えているけど、何かあるの?」
「コンフェ部としては実績がありますけど、僕が取り扱うのは初めてなので、そこのところで見えていない部分があります。正直、仕事を進めるのと並行して勉強しようと思っていましたので。だから、業者さんにお任せの状況です。具体的なところは把握していません。」
「困ったね。」
「すみません。そこはちゃんと押さえとかないといけないところですよね。特にこの仕事はコンフェ部とのケーススタディーですから。」
「そうだね。それから、業者さんを選定しなおさなきゃーいけないから。工事の引き合いを一からやり直さないといけなくなりそうなんでね。」
「・・・!?」
「いやー、実は、鳥元工業さんとは取引停止になりそうなのよ。」
「え!何があったんですか?」
「まー、それは後で話すとして、後、金森技商から過剰接待を受けたとか、過剰な申し出とかの話は聞いていない?」
話の流れからすると、金森技商とも何かあったということだろう。質問がダイレクトなのは、まさにそういうことかもしれない。
「それは、ズバリ、金森技商さんとのこの前の出張についてでしょうか?」
「いや、ジェネラルな話としてだけど。噂とかを含めて。この前の出張で何かあったの?」
「いや、僕的にはギリギリセーフだと思うんですが、接待はありました。過剰な申し出というのも微妙なところですが。具体的に何かあったんですか?」
「そうだねー、具体的には「宿泊費や食費をこちらで負担しますよ。」という話が噂としてあったようだよ。」
「そう言われると、ありましたね。さすがに宿泊費まではと思ったので、そちらは自分で払いましたけど。」
「それが賢明だよ。業者さんに宿泊費を払ってもらってるのに会社に宿泊費を請求するような二重請求の温床になる話だからな。」
「ABCルールの順守ということですね。鳥元工業さんも同じですか?ボクも付き合いが長いですけど、そういう話は聞いたことがないんですが。」
「あー、そっちは過剰接待とかじゃないよ。鳥元工業さんの方は、キミが悪事の片棒を担いでいることになっているんだけど。」
「えー!?」
そこからの話は衝撃的だった。そして、にわかに信じられないような話だった。吉沢さんが会社の金を横領していたという。その額は、分かっているだけでも一億円を超える。一回だけの行為ではない。数年間にわたり、何度も繰り返していたらしい。その手口は、工事の水増し発注により資金を還流させるというものだった。鳥元工業と金森技商、それから重量トビの那須機工が関係しているらしい。具体的には、那須機工が工事の費用を多めに見積もりし、鳥元工業もしくは金森技商を経由して当社と契約する。一次下請けとして工事を発注する鳥元工業や金森技商は業界では中堅として知られており、会社組織もしっかりしているので、個人が不正を行うようなことは難しい。しかし、二次下請けの那須機工であれば、社長の決裁でその辺りはなんとでもごまかせる。ようするに、吉沢氏が那須機工の社長へ高額の工事費を見積もらせ、明らかに高い見積もりなのだが、鳥元工業もしくは金森技商を経由することでそのポーションが全体の工事費のなかに隠れるため目立たなくなる。契約してしまえば、過剰な請求額であっても不審に思う者はいない。
こんなことが身近で起こるとは。新聞報道でそのような話をたまに見かけるが、まったく遠い世界の出来事だと思っていた。
売上と適切な利益を計上していれば誰も疑わない。そんな慣習が社内にあった。注文書には、必ず二人がサインすることになっているが、先に吉沢さんのサインがあれば他の人は中身など確認せずにサインするだろう。自分もそうだった。
外資ならではのフラットな組織、信頼されればコミットメントされて仕事を一任される。言葉の壁があって外国人は国内業者への発注業務にそれほど関与できない。そんな状況を逆手にとっての犯行だった。
数日前に、社内改革について熱弁をふるっていた姿が思い出される。一体、彼の中にどんな闇があったのだろう。
本郷さんとの打ち合わせが終わると、そのまま帰宅となった。パソコンや机の中を調べられるらしい。意外と感覚的には平気だった。自分の他にも、小西さんやその他数人が同じように疑われているらしかった。


会社には翌日に出社することができた。パソコンの中、手持ちの書類、机の中などが調べられたはずだが、外観上は、途中退社した前日の状態からあまり変わっていない。
不確定なことが多いと人は不安になる。何かで埋めなければ心を維持できない。待機していたときも、仕事のことが頭から離れなかった。担当しているプロジェクトの工程への影響、業者、顧客への説明とその反応。一体どのように対話すればいいのやら。頭の中で色々なシミュレーションが目まぐるしく展開する。自分はものわかりがいい方だ。これからしばらくは、より忙しくなるだろう。
本郷さんが自分のことで色々と動いてくれたということを同僚から聞いた。
社内調査は二カ月ぐらい前から秘密裏に進められていて、佐久間さんを中心に経理と人事の一部の人間が調査に加わっていたということだった。本郷さんや北島さんも最初から知っていたのだそうだ。その後の顛末や詳しい話も耳に入ってきた。
最も衝撃だったのは、福田さんが退社するということと、その理由だ。福田さんは、吉沢さんの愛人だったらしい。

「お疲れ様。」
仕事の終わりに北島さんが飲みに誘ってくれた。
「しかしこんなこともあるんだな。新聞とかでたまにこういう記事を見かけるけど、それが自分の勤める会社であったなんてね。でも、やっちゃーいけないよな、当たり前だけど。」
「そうですね、まさかこんなことが起こるとは想像できませんよね。」
北島さんは何となく得意げな感じだ。
「いやー、昨日がXデーってのは佐久間さんから聞いてたから絶対、会社にいるようにスケジュールを調整しちゃったよ。こんな体験、普通できないからな。」
なるほど。
「しかし、悪かったなー、言えなくて。」
「いや、それは仕方がないですよね。僕も最近、吉沢さんとの接触とかが多くなっていたと思うので。」
「まー会社としても初めての経験だから慎重にならざるを得ないしさ、吉沢シンパとか結構いるから。絶対に漏らしちゃいけなかったんでね。」
「吉沢さんって、こんなことやらなければ将来が約束されていたのに。いい人だと思ったんだけどなー。僕も結構、期待したんですけどねー。」
「そんないい人じゃないかもよ。オレの情報によれば、河野は多分、吉沢とはうまくいかなかったと思うよ。」
「何でですか?」
「この前、吉沢とグループで飲み会に行っただろ。」
「はい、行きましたけど、むしろいい感じだったと思ってましたが。」
「オレも聞いた話だけどさ、吉沢がちらちらと河野のことにらんでたそうだよ、福田さんと親密そうだったんで。」
「・・・やっちゃいましたね。」
「うん、やっちゃってるね。その後、二人はセカンドハウスでやっちゃったようだけど。」
「・・・・・・」
「あ、まずいこと言っちゃったかな。でも、元気出せよ。」
その日、北島さんは終始ご機嫌そうだった。


否応なしに朝が訪れ、おかまいなく時間は過ぎていく。だから人は立ち直れるのかもしれない、人は時間によって癒されるしかないから。この騒動もいつか思い出の中の出来事になっていくのだろう。
いつものように起きて、リビングへ移動し、テレビをつける。座椅子にもたれかけてしばしまどろむ。今日もまちかど情報室はためになる情報を提供してくれる。
新しい一日が始まる。
いつものように駅の方へ歩いていく。ただ、いつもと違って周りの景色が目に入ってこない。ずっと引っかかっていたことがある。心にぽっかりと空いた穴、埋めるべき命題。「このまま流されてしまうのか?自分に何ができるのか?何を残せるのか?」。
サラリーマンにとって会社とそれを取り巻く環境は社会の縮図そのものだ。そこに居場所を見出すしか道はない。ただ、世の中、期待したことは実際には起こらず、想像しないことが実際に現実となる。新しい時代に立ち向かおうとすればするほど、新しい世界にもがけばもがくほど、ちっぽけな自分の存在を否が応でも認識せざるを得ない。
かつて「企業戦士」と呼ばれた人たちがいた。会社に忠誠を誓い、命じられるままに前線で巡りくる苦難と戦う人たち。。。
高度経済成長の原動力としてもてはやされ、豊かさへの渇望を拠り所に社会への使命感を共有し、家庭を顧みず仕事へと邁進するサラリーマン戦士たち。ときには歯車のごとく扱われながらも、運命共同体的な明るさと結束にわが身を委ね、社会の成長を実感し、日本の強さを信じ、進む道の正しさを確信し、未来への展望を謳いあげる。
そして、ときが移り、社会が変わり、人々の心も変遷する。
過去の成功は反省となり、多様性は希薄化をいざない、国力の低下は将来への不安を増幅する。
「企業戦士を継ぐ者たち」。。。
世界が変わっても、まだ続きがある。世界が変わったからこそ、我々は新たな困難に遭遇している。この世界にとっぷりと浸かっている我々にとってそれは現在進行形であり、振り返って語るようなものではない。会社の、机の上のパソコンから顔を上げれば、眼前に広がる社会空間に自分が属していること、それが日常であるという現実を、否が応でもはっきりと認識させられる。日本経済を支えようなどという大層な使命感はないが、目の前の現実を受け入れ、嘆きながらも新しい世界と対峙し、未来を模索していくことが我々の定めなのだろう。
しかし、情報化とグローバル化が前線を曖昧にし、世界の重心が外へと移動していく中、我々のベクトルは定かではない。戦意の低下とともに、新しい不条理が世の中に蔓延してくる。
無力感が満ちてくる。
誰かが礎にならなければならないのだろう。(それは今までにも繰り返されてきたことだ。)
同時に、誰かの犠牲になっていると思うことで人は前向きになろうとする。
「企業戦士」に込められた表裏一体の皮肉。敬意と謝意を背景にしているとしても、協調、底力、困難への挑戦といった美徳が込められているとしても、顧みられることのない献身を称え、我々を慰め、あるいは鼓舞するとしても、裏を返せば、土台として社会の下敷きにならざるを得ない者たちへの憐みが見て取れる。
世の中には、勝者への賛辞とともに、弱者への巧言が溢れている。

いつもと同じように品川駅の改札をくぐり、行き交う人を避けながらホームへと向かう。いつもと同じように後方の車両に乗り、満員電車に揺られる。

都会には満員電車という摩訶不思議な乗り物がある
いつも人がいっぱいで賑わっている
ぎゅうぎゅう押し合い、みんなぴったりくっつきあっている
でもうれしそうではない
晴れても雨が降っても、みんなやってくる
でも楽しくて乗っているのではないらしい
みんな無表情、だけど行儀がいい
いやいや乗っているのでもないらしい
ここは彼らの世界
同じような人たちに囲まれて、安心しているのだろう
我を忘れて心休まる
腸詰めにされた肉の気持ちでしょうか
ぎゅうぎゅう詰めで、今日も運ばれていく
どこへいくのかはその人しか知らない

自分がやっている仕事が自分でなければならない、という訳ではない。実はそのことを、誰も声に出して言わないとしても、我々は知っている。
たまたまそのタイミングでそこに「仕事」があり、たまたまその「人」がアサインされる。現象としてみれば、物理的な空間と時間軸において、人と仕事が遭遇したという事象。それは運命に違いないが、自分が必要とされてやっている仕事も、マクロ的に見れば、自分以外の他の人がやっても程度こそ違えど成り立つ。一つの事実は、誰かがやらなければならない、ということだ。

群衆に紛れ会社へ向かって歩いていく途中、交差点の信号で立ち止まる。横断歩道を挟んだその向こうには、今から駅へ向かう大量のサラリーマン。信号が変わって一斉に歩き出す、お互いに。交差できるはずがないと思えるような過密状況であっても、不思議と衝突は起こらない。
歩道から車道へ目をやると、朝の通勤でひっきりなしに車が往来している。仕事関係の車がほとんどのはずだが、中には高級車が目に付く。ベンツ、BMW、アウディ、レクサス。。。運転している人の中には若い人も多い。彼らは成功した人間達なのだろうか?いったいどのようにしてそのステータスを手に入れたのだろう?少なくとも、自分の属する社会においてそのような結果を導く成功はありえない。
通勤風景を上空から俯瞰して人の動きを連続して観察することができたなら、まさに血流のように見えるのだろう。その中で自分は一つのヘモグロビンの役割を果たす。自分はどこにいてどこへ向かっているのだろう?