漫画コーナー @満員電車の詩


大量にあふれる出る漫画作品の数々。
ここでは、自分が出会った、単純に、感覚的に、そして独創的におもしろい、才能あふれる作家の作品をラインナップする。


カトウセレクションの背景

読みたい漫画なんて、十人十色。

それぞれの漫画にはそれぞれの味がある。
人によって嗜好や目的、環境や知識が同じではないのだから、人は、それぞれにそれぞれの味を求める。

それぞれの時代において、様々な作品が発表されてきた。
これからも、様々な作品が世に送り出されるだろう。

しかし、衝撃を受けるほど面白い漫画は、いつの時代にもそれほどあるわけではない。
出会えるか出会えぬか。
出会えぬままに、再生紙となるのも雑誌の運命。

ここのリスト作品の記録・記憶は、カラーテレビが普及しだした少年期にさかのぼる。
貸本屋さんが近所に普通に存在していた時代だ。

我々の世代は漫画の隆盛とともにあり、娯楽としてのマンガは、長く、生活の中で大きな位置を占めていた。
図らずも獲得したこの知識を、ここに留める。


カトウセレクション

I. 最近の傑作

グレートな四コマ・短編漫画家もここへ入れた。

II. 最近の名作


「四月は君の嘘」は、カットと言葉の配置が美しい。才能とセンスを感じる。

III. ちょっと前の傑作(含む長期連載)

1999年以前に発表された作品。
「SLAM DUNK」や「寄生獣」、「BECK」や「ベルセルク」など。

IV. ちょっと前の名作(含む長期連載)

単に話題になっただけでなく、独創的な数々の作品。

V. 殿堂

その分野で、新鮮な感覚と才能で新しい世界を切り開いた珠玉の作品の数々。
その足跡をここに記す。

VI. その他

その他については、調査不足が否めない。
この分野は、同人誌の勢いがものすごいので、それを抜きには語れないだろう。


ところで...

少女・女性系のマンガは基本的に読まない。
ただ、その存在力とパワーは認める。
名作、傑作はかなりあると思う。
ただ、恋愛ものは読む気しないし、細かすぎる情景表現や設定にはついていけない。
疲れるので。

正直、あまり難しいマンガは読まない。
読む時間がない。
非主流派の雑誌も読んでない。

ワンピースは読んでいない。
今のところ、読む予定もない。
さらば少年誌。

少年誌には、「弱虫ペダル」のようにマンガならではのおもしさが詰まった傑作が少なからずあると思う。
ただ、基本、年少向けが中心であり内容もそれを意識している部分が強くある。

昔の少年誌は、青年誌が存在しなかったこともあり、かなり幅広い内容を扱っていたのだが。


最近の注目作

「監獄学園<プリズンスクール>」 週刊ヤングマガジン 平本アキラ

「進撃の巨人」 別冊少年マガジン 諫山創

「群青戦記」


<2011年4月15日>


雑感

マンガの一番の魅力はファンタジーの表現にある。

漫画を実写のドラマや映画にしたときに陥る問題の一つは、そこにある。
絵により表現する、絵でなければ表現できない世界。
誘起される想像の中でのスペースとスピード感、感動と陶酔。

小説には、絵がない分、想像をより膨らませられるという面がある。
しかし、絵による、視覚的に、強烈に飛び込んでくる直截的な表現は、我々の感覚を直接に刺激することで、より一層、非日常の世界へと我々いざなってくれる。

別の視点からみると、ストーリー展開や空想におけるマンガの小説に対する劣勢がみてとれる。
つまり、人気のあるマンガであっても、人気のある小説の方がストーリー的に面白く深みがある。
マンガは、表現の要である絵に拘束されてしまうからだ。
それぞれの作家が独自の絵柄やスタイルを持っているが、それが逆に枠を作ることにもなる。
一貫性や世界観、共感や詩情を創造しやすい反面、具体的すぎるゆえにそこが制限ともなる。

いってみれば、マンガの本当の面白さは、絵力によって創出されるファンタジー性にある。
絵力とストーリーが結びついて総合的に優れた作品となり、我々に感動を与えてくれる。

ところで、アニメの場合、視聴者はより受動的になる。
マンガや小説にあるような、自発的な想像力の働きは制限されてしまう。
ただ、いいアニメは、演出や音楽を含めた総合的な芸術性を備えている。

音読の薦め

別に声を出して読むことではない。
声を出して読むのは明らかに不都合であるし、ノイズになってしまう。

声を出さずとも、普通にみんな音読しているはず。
あの、のどが動くような感覚。

もし、マンガを読むときに黙読しているのであれば、残念な読み方でありマンガの本当の面白さを味わえない。
黙読に慣れてしまってる人は要注意。

これは、内容の理解力の問題ではなく、右脳にどこまで響くかという問題。
感受性や感性、感情移入を伴うマンガの読書の場合、黙読では、その作品本来の素晴らしさは味わえない。
マンガ(物語性の高い小説も同じであるが)を読む際は、音読して(声に出さないで)、黙読では得られない、魂への響きを感じるのがよい。

マンガの発展

子供のころは買ったコミックを何度も繰り返して読み、製本技術が低かったこともあると思うが、ページがばらけてしまうこともしばしばであった。

そのころと比べると、漫画家の人口が驚くほど増えた。
マンガの数もしかり。
一つのマンガを繰り返して読むようなことは、もはや過去の風景というような気がする。

マンガのクオリティが格段に向上しているのも事実だ。
情報化社会の流れも影響している。
舞台や題材の幅が広がり、様々な試みが積み重ねられ、作家の才能と相まっていくつもの洗練された作品が世に送り出されている。

対して、マンガ文化が花開く昭和後期の作品群は、内容が粗雑で洗練されていないように思えるかもしれないが、そこには開拓期にしか持ちえない飾らない表現や、シンプルなメッセージ、ものごとの本質や原点を捉えた表現があふれている。
また、現実の人間が持つ生々しい人間味、どろくささ、欲望、独善などが、より色濃く反映されストレートに表現されている。
今発売すると、道徳的な問題が生じそうな作品がいくつもある。

マンガと背景

昔のマンガは一貫性に欠ける場合が多い。
連載が開始された後、読者の反応や編集部との調整、あるいは干渉、商業主義がストーリーに影響する場合がよくあったようだ。
本来終わる話が展開を変えて継続され、結末に至らない場合さえある。
もともと読者の反応を前提に連載が開始され、明確なストーリー展開の見通しがない場合もあったようだ。

今でもそのような傾向があると思うが、昔のマンガ家は締め切りに追われながら、その才能と葛藤とでストーリーをなんとか絞り出してきたというような印象がある。

時代の流れがまさにそうであった。
高度成長によりどんどん世の中は発展し、立ち止まる間もなく次から次へと新しいものが現れる。
そのような時代背景に影響されながら、マンガ界も商業雑誌の流れに身をゆだね激流を突き進んだ。

はたして、社会が成熟すると、成長ののりしろがなくなってきた現在においては、よりマネージメント、管理能力が問われている。
かってのイケイケ主義、ハイリターンハイリスクを許容できない、ミスを挽回する余裕のない現代においては、ストーリーや仕事の仕方まで、目標やスケジュールの管理や組織としての遂行能力が求められてもいる。

最近は、各方面の専門家が糾合した「組織」として、多様な発展的な表現を念頭においた上で、マンガへ取り組むケースも増えてきているようだ。
そのような作品も、多くはないが、カトウセレクションでも取り上げている。
特徴として、娯楽作品として非常に完成度の高い作品になっているように思う。
建築プロジェクトに相当するような、全体としての調和や素材の存在感と、各所にいたる個々の空間や質感が、一つの作品にうまくまとめられて表現されている。

カトウセレクションの選考について

もちろん、これは多くの読者が一律に認めるような選考ではない。(そのようなものは存在しない)
また、人気投票でもない。(そのようなものに意味はない)

マンガを読む一人の日本人が、私的な生活の中でその成長とともに過ごしたマンガたちの記録だ。

主に印象と記憶が頼りなので、ここのリストアップも準備万端でしっかりと体系化されているようなものではないが、もっと幅広く読んで、いいマンガを集めていきたいものだ。

ここでリストアップしたマンガで面白くないマンガはない。
人気や知名度がなくても、ここに入っていれば、面白いマンガに間違いない。
ただし、連載が長くなるとダレてくるので注意。
あと、終わり方が残念な作品も案外ある。
そういうマンガもいくつか入っている。

ここで取り上げた作品の作者の、別のマンガが面白いかどうかは別の話。
但し、あえてセレクトしていないだけで、リストアップされた作者の作品で、読んで面白かった作品はたくさんある。